KTCR-1416
アルバム作りの上で、「WICA」「VOICE OF OOPARTS」とこのアルバムが、ある種「三部作」であったような気がします。今から思えば、この作品の制作までで、初期のEPOさんとのCD制作上の共同作業に、ひとつのピリオドが打たれた感があります。その後も変わらずサポートは続けていますが、次の「完成」は、もうちょっと先かもしれません。
WPC7-10108
90年代の10年の間、笹子のライブ仕事の中で最も本数の多かったのは、EPOさんとのデュオかもしれません。この「air」という作品は、90年代後半の彼女とのデュオ・ライブの音源からのセレクションを中心とした内容です。
TOCT-6923
EPOさんとの作業も大分佳境に入った時期の作品。今は亡き乾裕樹さんのピアノとショーロ・クラブとによるdown townをはじめ、マニアックにならない、でもとてもアコースティック感覚に溢れたサウンドに仕上がっています。
TOCT-6679
ジョゼ・ピニェイロのグループのコンサートのリハで、ゲストとして歌うことになったEPOさんと初めてお会いしました。それからしばらく経った頃にはEPOさんのレコーディングを手伝い、ショーロ・クラブとしても彼女のライブのサポートをやるようになり、更に何本やったかわからない程のデュオでのライブ等々、気が付けば既に15年に渡るおつきあいです。
このアルバムは、EPOさんの音楽にとってのターニングポイントにあたる一枚であり、同時に笹子にとってもEPOさんとの出会いを記念する、最重要作品です。その後のEPOさんの活動の原点に当たる音楽世界を持ち、また最近の若いアーティスト達の中にも、このアルバムを「聖典」のように思っている人が少なくないようです。
惜しむらくは、ちょっと早すぎた、ということ。何が行われているか、スタッフもレコード会社も、よくわかっていなかったんじゃないでしょうか。ちょっと残念でもあります。
XQJT-1002
2011年
ゲストミュージシャン
ギター:ゴンザレス三上(M-13)
パーカッション:岡部洋一(M-1 , 2 , 3 , 5 , 6 , 10 , 11 , 15)
「これぞにんまり幸せ音楽」チチ松村(ゴンチチ)
2008年にアルバムデビューして、2009年には初のTVアニメサントラ担当&サントラアルバム発売。そして、2010年夏にこのアルバムを完成させました。その間、各地でのライブ展開、コンピレーションアルバムへの参加などもあり、着実にユニットとしてのコンビネーションも深まったと思います。
今回も全15曲中13曲がオリジナル作品。前回以上に作風に広がりが出たと自負しています。レコーディングは、メンバー3人と岡部洋一君(Perc)だけで、合宿レコーディングスタジオに籠もって、一気に仕上げました。
オリジナル以外2曲のうちの1曲は、ミュージシャン仲間、岩原智さんがコーコーヤのために書き下ろしてくれた作品。もう1曲は、ゴンチチのゴンザレス三上さんのソロアルバムで、レコーディングのお手伝いをさせていただいた作品、即ちコーコーヤにとっても記念すべき「初レコーディング」となった思い出の曲を、三上さんご自身にゲストに来ていただいて、改めて録音させていただきました。
RSCG-1049
2010年
音の詳細はこちらで。
http://www.gemmatika.com/
ずるずる長いセルフライナーを書きました。
お暇でしたら、お読みください。
[ 僕は、「ソリスト」ではない。20代なかばまでは、ギターソロの真似事のようなこともやっていたが、練習も大変だし、人前にピンで立つのも大変だし、そういう大変さを乗り越えてまでソリストになりたい、という切実な欲求が、正直、無いのである。で、いつしかソロ活動もやめてしまい、歌手のバックをギター一本でやる、という活動が、ここ20年ぐらいの「デフォルト」となっていた。
むしろ歌手のバックのようなことこそが、最もやりたかった活動だった、とも言える。歌手との活動だけでなく、20年続けている弦楽トリオ「ショーロクラブ」にせよ、数年前に立ち上げたユニット「コーコーヤ」にせよ、僕の役割は、「ガットギター1本で音楽の『場』を作る」という作業なのであって、詰まるところ、僕の作る「場」の上で、共演者の歌手の皆さんやユニットメンバーの皆さんに気持ち良くダンスを踊っていただきたい、というのが、僕の音楽に対する基本姿勢なのである。
というワケで、時たま「ソロアルバムを作りませんか」というお誘いを受けることはあっても、その都度、「えーと、あの、ムニャムニャ」と言ったり、「還暦になったら考えます」と言ったり、もっとヒドイ時は「来世に」などと言ったりして、お茶を濁していたのであった。
なので、今回のレコーディング、当初お話をいただいたときも、まずとっさに「ニゲル」ことを考えた。ところが、レコード会社社長の豪華な飲食の饗応を重ねて受けるうちに、だんだん逃げるワケにもいかなくなり・・、というのも半ば真実ではあるのだが、実際のところ「齢五十を過ぎた『伴奏屋』に、こういう企画がいつまでも来ると思うなよっ」という天の声もあり、内容についての、こちらのスタンスへの深いご理解とサジェスチョンもいただき、それやこれやで「内堀外堀」を埋め尽くされた状態となり、とうとう、じゃ、やるか、となったのが、2009年の秋。
で、内容はどうするか。自分名義のアルバムと言っても、急に「華麗なるソロプレイ」が出来るワケでもなく、人様にお聞かせ出来るような素敵な歌が歌えるワケでもなく、結局はこの20年ぐらいの間にやってきたことを、「自分中心」に再編成するという以外に、出来ることはない、と思い定めた。この20年間やってきたこと、とは、上記2つのインストユニットを除けば、歌手とのコラボレーションである。
例えば、EPOさんのバックをやるようになってもう18年ぐらいになるが、EPOさんとの共作が、まだ1曲も無かった。EPOさんとの作業においては、常にEPOさんが司令塔であり、僕は、その「指令」内容を、自分の持てる手段のうち最も効率よく実現出来る方法を考える、というのが、僕の変わらぬスタンスであった。逆に桑江知子さんは、アルバム2枚をプロデュースさせていただいて、ここ数年の桑江さんのレコーディングを中心とした活動の中での僕の「責任度」は、低からざるものがある。比屋定篤子さんは彼女のデビュー時から殆どずっとサポートしているが、レコーディングにおいては、僕は一兵卒のギタリストであったり、アレンジャーだったりプロデューサーであったり、いろいろであった。というような、それぞれの共演者の皆さんとのまちまちの距離感やスタンスを、自分を中心に統一再編成してみる、というのが、このアルバムのひとつの柱になるであろう。
「そうは言っても、ソロも少しはやるでしょ」と、しかし、やっぱり言われてしまうのである。ソロ(ギター一本による純然たるソロにせよ、バックを従えた形にせよ)パフォーマンスというのは、技術的にも大変(もっと言えば、使う「筋肉」が違うのです)だが、精神的にバックとは相当違う心構えを要求されるのであって、客前商売のクセに人前に出るのが苦手?な僕にとっては、そのような「自己改造」は、出来ればナシで済ませたかったものである。しかし、実は僕も、ブラジルの伝説的ギタリスト、バーデン・パウエルの影響が無ければ恐らくプロにはなっていなかったのではないか、という「履歴」があり、自分自身のそういう「出自」を音として残しておきたい、という密かな願望があったことに、こういう事態になってから気づいた。
そのように、比較的短期間に、いろいろなことがアタマの中を行き交い、それと同時に、曲もポロポロと湧いて出てきた。曲の中には、「あの人に歌って貰う曲を」と思いながら作ったものもあれば、出来てみれば「この曲はあの人に歌ってもらうしかない」となった曲もある。年明け以降、それぞれの歌手の皆さんにそれらの曲をお送りし、そしてしばらくしたら、素晴らしい歌詞がついて、それらの曲が戻って来た。音源をネットで遣り取りしたり会ってリハをしたりして、細かい部分を詰めた。某歌手とはカラオケルームでリハをして、そのあと飲みに行ったりもした。実に、至福の日々であった。
というワケで、取り敢えず僕の名前を名義としたアルバムが出来上がった。きっと、ショーロクラブやコーコーヤなどのインストユニット活動「以外」の僕の今までの活動を一枚のCDとして表現したのが、このアルバムなのだと思う。余りにも多岐にわたりすぎていて、果たして1枚のアルバムとして成立しているのか、若干不安でもある。でも、すいません、今までこういう活動をしてきたんです、としか言いようがない。
OMCA-1120
2009年
吉田慶子(vo)
笹子重治(g)
岡部洋一(per)
ヤマカミヒトミ(fl)
イーズカ・ヒトシ(vo)
全曲プロデュース、アレンジ、演奏で参加。
ナラ・レオンのトリビュートアルバム。ポストボッサ世代にあたるナラの音楽は、正統派ボサノヴァ的なシンプルで柔らかいたたずまいを持ちつつも、素材は古いサンバやルーツサンバ、民謡、ショーロ、逆に当時の「ニューミュージック」の担い手達の新しいナンバーなどなど、あらゆる方向に求められている。それらの音楽の豊かさが、ボサノヴァ的なシンプルさの中にキッチリまとまっている、という点が、最大の魅力であろう。
吉田さんの魅力は、「引き算」の魅力。「攻め」の表現を排して、確信犯的に弱音のコントロールを表現の中心に置いている。
ナラ・レオン的なブラジル音楽は、僕がブラジル音楽の中で最も大きな影響を受けた部分とほぼ重なっているし、吉田さんの弱音へのこだわりは、そのまま僕にとっての演奏上のこだわりでもある。
このアルバムを作るにあたっては、吉田さんと、「ともかくシンプルに、余分なものを排して」と申し合わせていた。パーカッションの岡部洋一、フルートのヤマカミヒトミと一緒に作ったサウンドは、「エッセンスだけ」と言うに近い、ギリギリのものだったと思う。
XQGR-1001
2009年
全曲参加
10年も前から、1年に一回ぐらいのわりで東京でライブを続けていたユニットの、「デビュー」盤。海千山千のメンバーが10年間温め続けたレパートリーなので、どれも「重量級」の演奏になっている。スタジオレコーディングとライブレコーディングの温顔が混在しているが、ライブ音源の意識の飛び方の凄さが、スタジオレコーディングではどうしても肥えられなかった故の「混在」。アタマより感覚、という、このEPOさんを中心にまとまるこのユニットの性質を表している。
VTCL60134
2009年
コーコーヤにとって、初の「メジャー仕事」ともいうべき一枚。09年4月から放映されたフジテレビのアニメ「リストランテ・パラディーゾ」の、オリジナル・サウンドトラックである。4日間で45トラックという超ハードスケジュールであったが、よい作品に仕上がった、と自賛している。コーコーヤは映像との相性がいい、という評価もあり、これを期に、そっち方面に進出したいなああ、と思ったりするのである。
参加ミュージシャンは、このレコーディングの直後におこなわれたショーロクラブのレコーディングでもお手伝いいただいたアコーディオンの佐藤芳明さん。ピアノの中島ノブユキさんにはストリングスのアレンジもお願いした。パーカッションは「安心」の岡部洋一、石川智。
HRBD-008
2008年
デビュー盤となる今作は、山梨県のとある山中にあるカフェのロケーションをそのまま利用、水の音、風の音、鳥の声に抱かれた中、20世紀半ばのアンティーク機材を駆使して、「50年代の音」を忠実に再現、古き良き時代の空気感さえもそのまま閉じこめたかのような仕上がりとなりました。クラリネット、ヴァイオリン、ギターという、ありそうでいて実は斬新な編成、レパートリーの殆どがメンバーによるオリジナル、全てのトラックが録りなおしなしの真剣勝負、という中、昨今のレコーディング方法では得ることの出来なかった"新しくて懐かしい”、”暖かくてスリリング”な作品が、完成しました。
なお、このレコーディングについての、エンジニア側からの詳細を、エンジニアのシュガー・スペクター氏が文章にまとめてくださいました。
http://www.sasa-g.com/html/shugers.htm