2006年9月の日記:[以前の日記]


9月30日(土)
 
 
信州、上伊那小蕪亭にて、EPOさんとのデュオライブ

 JR線に乗っている間中、ここが痛い、あそこがオカシイ、と、オジサンとオバサンの近況報告合戦。ゆっくりハナシをし、ゆっくりデュオでライブをやるのは、実に久しぶりだったのである。
 小蕪亭は10数年前に初めて訪れて以来、何度やったかわからないぐらいの場所。マイクも通さない生音の響きの良さと、パワフルなオバサマ達の企画による手作りのライブの良さで、我々にとっても、最もリラックスしてお客さんと向き合える場所。
 とはいえ、フルサイズのデュオライブは実に久しぶり。(ヘタしたら、1年近くぶりだったかも)しかも何をやるかについての事前の連絡もナシ。会場についてから、あれをやりたい、これをやりたい、と言っては軽く演奏してみる、という程度の準備で、すぐに開演時間に。出番直前に靴を履きながら、(笹)えーと、ところで何をやるの?(エ)どーしよっかぁ?というやりとりがあって、取り敢えず1曲目は「誰もいない海」をやろう、となり、ステージに立ってから、歌詞カードを探し始める始末。
 でも、これはダレているのではなくて、「リラックスの極地」なんですな。こういう時に、長年の場数によって積み重ねられたお互いの信頼感とコンビネーションのチカラを、実感する。ひとたび演奏が始まってしまえば、あとはもの凄い集中力でもの凄いパフォーマンス、終わってみれば、確実に僕の今年のベストパフォーマンスのひとつ、だったと思う。終演後控え室に戻りつつ、ワシらって凄いねえ、と言い合ったのだが、これはウヌボレでは無い。聞いていただいたお客さんも、きっとそう思ったはず。あ、やっぱりウヌボレか、これ。
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9月29日(金)
 
 
祖師谷大蔵 MURIWUIにて、NUU、vice versa のジョイントライブ

 このお店で同じメンツでやるのは二度目。場の雰囲気の良さもあって、とてもイイカンジのライブになる。
 vice verca は、かつてNUUが江田でロータスサウンドのイベントをやっていた時に、しばしば見に来てくれていて、CDをいただいたりしていたのだが、前回のMURIWUIライブで初めて石塚明由子さん(vo)とマツオケンイチ(g)さんのデュオの形で聞かせてもらって、「軽い深み」のある声とフレキシビリティ溢れるコンビネーションに、感心させられた。
 今回も、相変わらずイイカンジのパフォーマンス。積極的に聞きに行きたいと思わせる、数少ない「後輩」グループである。この日は前回以上にコラボレーション・パートもあり、「ロータスサウンド」にも通じるタップリとしたライブになった。
 NUUも、開演前は、なんだか力が入らない・・、などと言っていたが、ウソつけ、と言いたくなるほどにボルテージの高いパフォーマンス。お客さんのエネルギーを貰って自分が元気になる、という典型的タイプ。
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9月28日(木)
 
 
青山プラッサオンゼにて、実に久しぶりのko-ko-ya+秋岡欧ライブ

 何曲か新曲もあったのだが、いかがだったかな。ショーロ・クラブの楽曲をko-ko-yaでやる、というケースが増えていて、このことについては、ちょっと躊躇しつつやっている部分もある。ko-ko-yaに合っている曲で、なおかつショーロ・クラブとしては既に演奏していない曲を中心に残す、というのが、正しい態度かも、と思ったり。
 それと、最近インスト音楽を演奏するたびに、本来こういう音楽をやるためには、もう少し練習量が多くないとイカンのではないか、という気分に囚われる。実際には、それが出来ない状況なので、もどかしくもあるのだが、まあ、ボチボチやっていこうと思っております。
 今日は、ゴンザレス鈴木さん、ゴンチチのゴンザレス三上さん、照屋実穂さん、日野良一君、と、ミュージシャン関係者も見に来てくれていた。鈴木ゴンさんからは、プロデューサーから見たko-ko-yaの今後の扱い方?について、いろいろ貴重な意見をいただいた。
 日野君は、福岡のライブハウスで初めて彼を見て、東京においでよ、と、言った(らしい。なんと無責任なわたし)のが元で、東京で活動するようになったそうだが、最新の録音を聞かせてもらって、誘ったのがマチガイで無かったことを確信。少し安心しました。
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9月26日(火)
 
 
40人乗りぐらいの小さなプロペラ機で、昼過ぎに奄美空港から海とサトウキビの島、喜界島へ。
 取り敢えず某有名ニュースキャスターの弟さんがやっているという中華料理屋へ。喜界島は殆ど観光化されておらず、地元料理は家で食べるもの、という発想のようで、飲食店等も選択肢は極めて狭い。その中、スーパーで地元料理発見。「カラジュウリ」なる、ブタ肉を血で炒めたもの。沖縄のチーイリチーのようなものか。食してみたが「好きなものにはたまらない」味でした。
 夜は地元のライブハウス「SABANI」にて、NUUライブ。沢山のお客さんに来ていただき感激。オープニングアクトを努めてくれたのは地元の「DOKI DOKI」なる兄弟デュオ。お兄さんが23歳、弟さんは19歳という、大変折り目正しくさわやかな若者達で、東京からのオファーもちらほら、という、将来有望なデュオ。オレがハタチの頃はあんなにさわやかじゃなかった、とつぶやくと、NUU、想像つきます、と一言。終演後は彼らと3時過ぎまでさわやかに黒糖焼酎をいただき、さわやかに奄美ツアーを打ちあげ。
1159412127.jpeg 夕日がキレイでしたが、カメラを取り出したとたんに沈んでしまった

1159412128.jpeg カラジュウリ

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クロイワツクツク
オレ以外、誰も興味ナシ

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9月25日(月)
 
 
 昨夜は名瀬のASIVIにてNUUライブ。何度も奄美に来て、着実に交友の輪も広げているNUUを応援してくれる人は多い。そんなファンの人達に煽られたのか、後半に行くに従って、内容の濃いパフォーマンスになった。終演後、それらの人達と話し込み、気がつけば3時近くに。
 今日はツアーのお客さんにとって最終日ということで、お客さん達は加計呂麻島へ。僕は一日OFF。こういうOFFは、とてもありがたい。持ち込んだ仕事をゆっくりと片づけた後に、散策へ。名物鶏飯を食してから、クロイワツクツク、オオシマゼミといった本土では聞けない珍しい蝉時雨の中、ブラブラと裏山のおがみ山へ。名瀬の街は、何と言うか、僕らの子供の頃を思い出させるような、ノスタルジックな雰囲気があって、妙に落ち着く。気候も、既にバカ暑い時期は過ぎていて、朝夕は涼しい風も吹く。いい時期に来たのかも。
1159201980.jpeg 名瀬の街です

1159201981.jpeg キノボリトカゲに遭遇

1159201982.jpeg 前山真吾さん

 で、夜は地元のグループ「スネオブラジャース」とNUUチームとで飲み会。途中、23歳の唄者前山真吾さんが合流。素晴らしい唄を聞かせてくれた。
 ところで、彼からはとても興味深い話もきくことが出来た。彼は19歳までロックバンドのドラムを叩いていて、X-JAPANのカヴァーなんかをやっていた、と。何でそれが急に民謡歌手になったか。それまで民謡なんかには全然興味が無かったのが、ある日、仕事の関係でたまたまあるベテランの奄美民謡の唄者の唄を聞いて、ビビっときてしまった、のだそうだ。
 僕は常々、例えば人口数万人の石垣島からどうしてあんなに多くの力のある歌手が出てくるのか、と考えた時に、それが文化の力、と、漠然と思っていたのだが、彼の話から、その具体的なプロセスを教えてもらった気がした。
 要するに、説得力のある唄を聞けば、感性のある人は激しく感動せざるを得ない。でもって、石垣や奄美のような、小さなエリアで、しかもそれなりに固有の音楽文化を持っている地域ほど、そういう「唄」に出会う機会が多いんだな、と。
 例えば東京には、商業的なシステムの制御のうちにある音楽は満ちあふれているけど、例えば前山さんのような感性の豊かな若者の心を奪うような「生」の唄に接する機会がどれだけあるのか、とまあ、そういうハナシなんですな。どうっすかね?
 で、僕はやっぱり「原人系ミュージシャン」なので、八月踊りの時も思ったけど、こういう環境の方がずっと好きだ。こういう健全な音楽文化のある土地に生まれたかったなぁ。やっぱ、来世に賭けるしか無いかなぁ。
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9月23日(土)
 
 
「NUUと行く奄美の旅」初日

 朝早い便で奄美へ。奄美は2度目だが、沖縄とはまた全然質の違う、とても静かなイメージの土地である。自然は豊かだが、沖縄ほど「熱帯的」じゃないし、観光開発などもまだまだされておらず、アメリカの占領も経験していないので、「アメリカー」な雰囲気も皆無。落ち着いて休みに来たいような土地です。
 さて、空港近くの風光明媚なあやまる岬を散策し、昼食を終えてツアー第二便到着者を迎えに空港に行くと、いきなり公演を終えて東京に帰る朝崎郁恵さんの一行に遭遇。つかのまの交歓の後、夕方浜辺でNUUのミニライブ。 

 夜は、島の北の方の笠利地区で「八月踊り」というのを見学(参加?)した。旧暦八月の新月の日から、3日続き→3日休み、を三クール続ける、一種の盆踊り風?のお祭りで、なかなか凄いものでした。
 何十種類かの歌と踊りがあって、それを、集落中の男女がコール&レスポンスを複雑にしたような形式で掛け合いをしながら輪になって歌い踊る。7〜8曲断続的に続けたところで、集落の中の別のポイントにむかって皆で歌いながら移動する。その間、酒からおにぎり、料理、果物、お菓子、ヤクルト・・、と、あらゆる食べ物飲み物がざるやお盆に載って、ひっきりなしにまわってくる。
 だいたい7時頃から11時頃まで、それを続けておひらきになるのだが、昨日は新月の初日で、一番地味な日だったそうな。それでも凄かった。
 こういう生きた音楽と踊りの場は、都会でしか暮らしたことのない僕には、なかなか経験する機会が無い。今まで映像では、ブラジルやアフリカ・アジアの田舎のお祭りを見る機会はあったが、コーラスのかけあい、おばちゃんのユニゾンコーラスの雰囲気など、文化つうのはホントに根っこは同じところから生えてるんだな、とつくづく思った。こんな音楽のある土地に生まれたかった、と思いました。
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9月22日(金)
 
 
桑江知子さん宅にてリハ

 新譜の収録曲のデュオライブ用のリハ。アレンジ的には何とか目処がたって、一安心。まずは10月4日5日の沖縄からなのだが、お宅に着いたとたんから、音楽よりもまず沖縄で何を食べるか、という話題へ一直線。僕は3日の夜に沖縄に着くんだけど、もう着いたその日の夜食から後の全ての昼食夕食の場所が、協議によって決まってしまった・・。
 我々のようなタイプが、結局太りやすいのだな、と実感。
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9月19日(火)


吉祥寺にて、ko-ko-yaリハ

 ko-ko-yaも2年めに入って、レコーディングをどうするか、というところに来ている。こういうハナシは業界外の人にはどうでもいいことだけど、今レコード業界は大変に世知辛い状況にあって、正直、メジャーレーベルからCDを出すということが、大変難しいことになっている。逆に自主制作は、レコーディング技術も進歩し、大変ロウコストで実現出来るので、発売されるCDのタイトル数は、特にマイナージャンルにおいては、むしろ増えているのだろう。しかし、である。どうせ出すなら、内容的にもそれなりにウケたいし、販売上も全国に届くだけの態勢を作ってから作りたいよね。
 というワケで、取り敢えず当面はもっとライブを増やして、レパートリーもオリジナルの比率を増やして、音楽の質を底上げして、誰もがヒレフするようなユニットにしてからでも遅くないのではないか、と、安易なような安易でないような、論旨不明解な結論に達したのである。従って、もっとライブをやりたい。全国の皆さん、このユニットに仕事をっ。
 あ、取り敢えず今日のリハは9/28(木)プラッサオンゼのためのものです。新曲も結構ありますので、是非おこしください。
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9月16日(土)




桑江知子さん宅にて打ち合わせ。夜は渋谷某店にてko-ko-yaでゲリラ投げ銭ライブ。

 10月4、5日(沖縄)から始まる今後のライブについての打ち合わせを、桑江さん宅にて。9月20日に発売される新譜の収録曲をデュオの形でどう再現するか。どう考えても再現不可能な曲もあり、思案のしどころ。
 そのまま渋谷で出て、某店にて投げ銭ライブ。もともと半分ぐらい「タダメシ」に釣られて決めた?オハナシなので、着いたとたんから飲食モードに入ったのだが、いやいや、なかなかそんなに甘いことではなかった。
 1テーブル4曲で3テーブル、時間を置いてお客さんが入れ替わったあたりでもう一度同様に各テーブルをまわって、まあ、計6回の”小公演”だったワケだが、狭い店内で楽器同士の位置関係の微調整もままならず、お客さんも音楽に対する興味の強い人、そんなに強くなさそうな人・・、そして、演奏後に直接手ずからお金をいただく、というナマナマしさ。生楽器をたぐる楽士としての「原点」を思い出させて貰った大変な「修行ライブ」となったのであった。
 とは言え、最後にはイイカンジで終了。結局もとの飲食モードに復帰。穴子のおむすび、おいしかったぁ。
 
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9月15日(金)


世田谷の某スタジオにてシバリエのリミックスの音入れ

 ショーロ・クラブの「sonora」に収録されている「蛸の女」の、何故か中国語ヴァージョンを。「早い、安い」という吉野家ばりの、実働15分終了のレコーディングだった。リミックスの手順上の問題で、同時に、というワケにはいかないが、このテイクはショーロ・クラブwith ストリングス、という形になる。生前シバリエはショーロ・クラブとの共演を望んでいたそうだが、喜んで貰えたかな。アルバムは12月発売。
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9月9日(土)


コザM-frogにて比屋定さんとライブ

 沖縄5連チャン最終日。昨日の「ピーク」を維持できたか。結果は、前半は殆ど無意識状態で、多分とてもオイシイ状態だったと思う。最後の方はちょっとヘバってしまったけど。これだけ短期間に、東京ー山形ー北谷ー那覇ーコザ、と5箇所ものスケジュールをこなしたのは、比屋定さんとは初めて。お互いにまた新たに掴めたものがあったのではないかと思う。実りの多い沖縄一週間であった。
 これで、6月頃から続いていた殺人的スケジュールも一段落。明日からしばらくは、ゆる〜いスケジュールとなる。各会場に来てくださった皆様、ありがとうございましたー。


ところで8月31日の琉球新報夕刊に僕の記事が出ていて、そのコピーを入手。読んでみると、以下のようなことが。

女性歌手からのオファーが多く、単独(=ショーロ・クラブ以外)では年に四五回沖縄を訪れる。
「何かもてる。ガットギターというものが女の人の声に合うのでは」と笑顔。

 モテモテじゃ〜んっ。・・・・言ってませんってば。記憶によれば、女性歌手にもてますね、ろ言われて、ギターの音が女性の声に合う、ということもあるのでは、と答えたんだったと思うんですけどぉぉ。
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9月8日(金)


桜坂劇場にて、比屋定篤子ライブ

 沖縄ライブも4日目。そ〜ろそろ疲労の極地か・・・。しかし、「起床→朝食→散歩→昼食→出勤→演奏→飲み屋→就寝」という、大変規則正しい生活を送っていて、東京にいるより、もしかしたら健康的かも。アタマの中は、もうどーでもいいやっ、というカンジになっていて、この状態になり始めると演奏内容が良くなってくるのも、十数年前の中南米ツアー以来のお約束である。
 今日も、自分の中ではここしばらくでは最も集中度の高い演奏をすることが出来、大変満足したのである。こういう小さな会場でスタンディングオベイションを頂くのも珍しいことで、大変うれしかった。願わくば、明日までこのピークが持続せんことを・・。
1157784955.jpeg お約束
「てびちとおじさん」

1157784956.jpeg よっぱらい

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9月7日(木)


 今日から「比屋定篤子3デイズ」。今日は北谷MODS。 会場への車に乗り込むやいなや、昨夜の「ショーロ・クラブはどうしたらもう少しマシになるか」という話題が、メンバーを変えて再燃。昨夜観に(自費で来てくれた→招待ぐらいしろよな)来てくれた比屋定さんに、ステージマナーについていろいろ叱られる。ううむ、彼女のデビュー当時から、すっかり立場は逆転してしまったではないか。
 ライブの方は、つい先日東京ー山形をやったばかりで、適度にこなれていたせいか、申し分の無い内容で、特に後半のテンションは、いつにない程のものだった。比屋定さんんも十分に手応えを感じていたようで、楽屋の戻ってからも「子産みパワーっ、ポンっ」などと、理解不明なギャグをとばし、悦に入っておりました。
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9月6日(水)


桜坂劇場にて、ショーロ・クラブのライブ

 昼、比屋定さんがナビゲーターをする@BBSに出演。生演奏二曲。大変気楽に出来た。
 夜は桜坂劇場にて、ショーロ・クラブの最終?日。しかし、たった二日のツアーでへとへとになるこのグループは、どうなっておるのだろうか。どうやら名実ともに「ショロークラブ」になりつつあるような・・・。演奏は、今日も前半?、後半○、というカンジ。もう少し何とかした方がいいかも、と思いつつ、久しぶりのショーロ・クラブ沖縄ツアーを終える。
 その後、近所のオデン屋へ。大変メンツが雑多で、オモシロイ打ち上げになった。ショーロ・クラブメンバー以外に、沢田ヨメ、JImamaのテルミー、ソークワクチンの2/3、10年前に地元平和通りのストリートミュージック・フェスでお世話になったGさん、11年前の中南米ツアーの時のツアーマネージャーで現在沖縄在住のH君、石垣のブラジル料理屋パパビゴージのマスター、にんにくおじさん、と、いかにも繋がりがなさそうなメンツで、ショーロ・クラブをどうしたらもう少し売れるかについて、深夜に至るまで侃々諤々の議論。
1157598162.jpeg てびちーっ

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9月5日(火)


昨日から、今年何回目だかの沖縄。

 昨日は大変大人しく一人ホテルの部屋で仕事をし、ホテルの中の飲み屋でサビシク飲んだりしていたのだが、今日は、昼からフル稼働。
 まず午後一でFM沖縄「ハッピーアイランド」に生出演。この番組では、かつて「ソバの日」に出演した時に、「沖縄ソバは好きじゃない」と発言して番組を大混乱に陥れた前科が僕にはあり、その後遺症が危ぶまれたのだが、ナビゲーターの多喜さんに暖かく迎えられ、取り敢えず胸をなで下ろす。
 続いてその足で琉球放送の「@BBS」に、今度はショーロ・クラブ3人で。沖縄のラジオ出演って、ほとんど打ち合わせも無くブッツケであることが多いのだが、今回も、生演奏つきであるにも関わらず打ち合わせもマイクチェックも殆ど無しでいきなり本番へ。でもねえ、こういうのって、ストレスがかからなくていいんですよ。沖縄でラクにしていられるのも、そういうゆるい流れに身を任せていて、なんとかなるからなのかも。
 更にその足でラジオ沖縄「チャットステーションL」へ。こちらもそんな気分で出演、沢田穣治など本番直前まで立て膝でハナをホジホジしながらチラシを読んだりしているもんだから、ナビゲーターの玉城美香さんに「となりの家のオジサンみたい」と言われていた。
 さて、夜は北谷のMODSで一回目のライブ。ショーロ・クラブとしては久しぶりのライブだったのだが、客席を見渡せば、古謝美佐子さん、ジョニー宜野湾さん、よなは徹君、と、こいいメンツがズラリ。彼らに煽られたワケではなかろうが、途中からだんだん調子が出てきて、最後はバッチリ決めることが出来た(と思う)。
1157510013.jpeg 「ハッピーアイランド」多喜ひろみさん

1157510014.jpeg 唄者達

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9月2日(土)


山形にて、比屋定さんとデュオ

 比屋定さん、東京と沖縄以外でのライブは決して多くないのだが、山形は何故かご縁があって、これでもう4回目。「山ブラ」(=山形ブラジル音楽普及協会)に主催していただくのも3年ぶり、2回目だ(ちなみに、来年のライブも決定したとか??)。ここのところ、安定度の高い比屋定さん、前日との客席の雰囲気の微妙な違いに多少とまどっていたようだったが、キッチリと自分の仕事をしておられました。リッパリッパ。
 山形でのライブは、いつも必ず「爆飲・爆食」がオプションとして付随するのだが、今日も深夜3時近くまで飲み食い。今回は違ったが、場合によっては前日から「開始」され、ライブの次の日の夕方にまで渡ることもある。最初は天国に来たような気分がし、最後には苦行気分になったりもするのである。
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1157385508.jpeg この方が「山ブラ」の回腸、じゃなくて会長様

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9月1日(金)



青山プラッサオンゼにて、比屋定篤子さんとデュオ

 ライブ開始10分前、比屋定さん、「歌手になんかならなきゃよかった」と、ぽつり一言。コレ、実は、客前商売をしているニンゲンには結構共通の、出番前特有の気分なのである。
 お客さんにとってミュージシャン達は、毎日のようにステージ上であんなコトこんなコトを繰り広げているフツーでない人々に見えるかもしれないが、やっぱり人前で何か特別な、決して簡単ではないことをやって、しかもその集まった人達に取り敢えず納得して帰ってもらわないとイケナイ、というのは、凄いプレッシャーなのであって、そのことは、いくら経験を重ねても変わらない。
 ところが、本番が始まってしまえば、あんなコトこんなコトをやりまくって、終わった時には世界を我がモノにした(ちょっと大げさですが)気分になって、ステージを降りてくるんですな。でもって、この落差を経験すると、今度はこの商売を止められなくなる。
 というワケで、今日も比屋定さんと二人、あんなコトこんなコトをやりまくって、大変イイ気分になって一日を終え、明日も来週も山形やら沖縄やらで同じことを繰り返すのである。
1157128280.jpeg 出番直前に写真なんか撮っていてはいけませんね

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