2007年9月の日記:[以前の日記]
 
 
9月29日(土)
 
 
「盛桜閣」に行けず、くやしかった。

 昨夜の打ち上げの後、東京駅近くのホテルに宿泊、朝の便にてEPOさんとともに盛岡へ。「他文化間精神医学ワークショップ」というイベントのアトラクション出演というお仕事。このイベントは、各界の人達が「仕事、家族、文化」について講演を行う、という、なかなか興味深いもの。 
 昼過ぎにサウンドチェックを終えてから、楽屋で寝ころびつつ、モニターでずっと各氏の公演を拝聴していた。我々の演奏時間は4時半から1時間となっていて、EPOさんは終演後の懇親会に出席する予定だが、僕は6時40分の便で東京に戻る予定。ううむ、これは、ちょうど駅前で冷麺を食って帰るに適した時間割りだわい、と思い、スタッフの方に、美味しい冷麺屋さんについてリサーチしたところ、「盛桜閣がいいでしょう」というご返事。こういうことには、結構マメ且つ用意周到なのである。
 ところが、講演の時間は押してしまい、おまけにEPOさんも予定時間を大幅に越える大熱演。終わってみれば、まっすぐ行っても新幹線に間に合うかどうかを気にしないといけないような時間に。せっかく珍しく記憶に刻み込んだ「盛桜閣」の名前も、無駄になってしまったのであった。「盛桜閣」よ、待っていろ、次回は必ず。


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9月28日(金)
 
 
EPO with CHORO CLUB+渡辺亮 パルコ劇場コンサート


 思った通り、と言うべきか、もの凄くリラックスしたコンサートになった。ドキュメンタリー番組の取材でEPOさんを撮り続けているテレビ東京のスタッフも、バックステージで撮影しながら、「全然緊張してないように見えますね・・」と驚いていたけど、実際、2回のリハで、17年前の中南米ツアーの頃のコンビネーションを完璧に取り戻していた。ステージ上でも楽屋でも、全く自由自在。こんなラクな仕事ばかりならいいのに、と思う。
 しかし、実はEPOさんにとっては、「そんなラク」な仕事では、決してなかったかもしれない。十数年前にインディーズ的な仕事の仕方を選んで以来、首都圏での、イベントではない純粋なコンサートとしては、ある規模以上のホールでのものは数える程しかやっておらず、今回は実に久しぶりの首都圏でのホールコンサートで、動員面その他については、MCでも触れていたけど、そうとう心配や苦労があったそうである。
 そして結果、満員札止め。「これまでいろいろ関わっていた人達に、今回は甘えて、いろいろ手伝っていただいた」そうだが、「甘える」つうのも、決して悪いことじゃないかもしれませんな。がんばって、足りない分はヒトに甘えて、いつか相手に必要とされた時には「お返し」する、それでいいんではないですかね、と、僕も思いました。ともかく内容も含めて素晴らしい結果を得ることが出来た。皆様に感謝。でもって、次回にまた期待、です。


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9月26日(水)
 
 
青山のプラッサオンゼにて、ZE PINHEIRO &BOTO ライブ。

 このグループは、毎回言うけど、ホント、楽しい。楽しい、という言葉が殆ど全てを物語っている、自分にとっての唯一のユニットかも。
 結成は88年8月8日。当初のメンバーで今回参加したのは、ジョゼ、秋岡欧、服部正美さん、渡辺亮君に僕、かな。つまり、基本は変わっていないのだが、去年からコーコーヤのお嬢様達に参加してもらうようになって、リズムとメロディラインのバランスが凄く良くなって、「脂汗」をかいてやらねばならない場面が無くなり、ただただ音に身を任せていればいいカンジになったというところが、大変ヨロシ。
 ところで今回、衣装に関して「白を基調とした派手目のシャツ」という"縛り"があって、普段黒か灰色(大変努力して紺色)しか着ない僕も、それではイケナイということになった。昔リオデジャネイロに居た時には、黄色いズボン、真っ青なズボン、赤いズボンを常備していて、更に緑のシャツ、橙色のシャツ、紫のシャツなどとコーディネートを楽しんでいたのであるが、これは、リオでは派手な服を着ないとかえって目立ってしまうからそうしていたのであって、本来は地味に、気配を消しているのが、自分の「流儀」なのだ。それが、今回の"縛り"もあったので、たまには虫干しも兼ねて着てみよう、と、ダンスの底から、ドハデな「エスコーラジサンバ・ベイジャフロール」のシャツを引っ張り出して着たのである。で、更にハピネスレコードのTさんが、更にドハデな「エスコーラジサンバ・マンゲイラ」のシャツを差し入れてくれて、それを、休憩後の二部に「お召し替え」した。そうしたら、何と、終演後、「写真を撮らせてくださいっ」「ツーショットでお願いしますっ」という善男善女達が、ゾロゾロと列をなすではないか。スターとはこういうものであろうか。こんなにモテたことは生涯無かった。しかし、そんなに珍しかったか。
1191080808.jpeg マンゲイラ。

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9月25日(火)
 
 
EPO with CHORO CLUB+渡辺亮 パルコ劇場リハ

 朝、新神戸から新幹線に乗ったら、新大阪からゴンチチのおふたりが乗り込んできてビックリ。しかし、旅の多い業種なだけあって、この仕事をしていると、あちこちの駅や空港で、ばったりと知人に出会うことが多い。ゴンチチさんとは、那覇の空港でもばったり会ったことがあったっけ。那覇空港では、古謝美佐子さんにもバッタリ会ったことがあったなぁ・・。
 で、今日は、28日のEPO with CHORO CLUB+渡辺亮の最終リハ。曲も出そろい、それぞれが何をすればいいのかも全部判明。あとは本番を待つのみ。つつがなく終わったリハだったのだが、唯一、EPOさん、スタジオで椅子に座ったとたん、座面が抜けて写真のような状態に。それにしても、助け起こそうともせずに、写真を撮りに走るショーロクラブのヤツラというのは、いったいどういう人達なのか?
1190780136.jpeg EPO陥没

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9月24日(月)
 
 
川西市の事務所にて、かとうかなこさんと久しぶりにリハ

 今日のリハは、11月15日の澁谷7th Floor でのライブのためのもの。かなこちゃんは大阪在住、こちらは関東、ということで、なかなか一緒にできる機会が無く、「積み上げたり崩したり」みたいなことの繰り返しになりかねない状況がある。今回も、5月の「リード楽器フェス」以来、久しぶりの音合わせであった。しかしながら、間が空く、というのは、毎回少しずつ相手が変わっていくのを実感できる、という利点もあるのである。毎回少し変わるかなこちゃんを楽しみ?つつ、リハを終えたのであった。 
 ちなみにこの7th Floor でのライブというのは、ちょうどボジョレーの解禁日ということで、それに引っかけた「ボジョレー解禁ライブ」にする予定なのだとか。流石フランス系アコーディオン奏者のライブ。当日はボジョレー飲みつつ、フランスの香り漂う多国籍的音楽を、フランス人とは似ても似つかぬギター奏者の伴奏とともにお楽しみください。
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9月23日(日)
 
 
大阪、茨木市にてEPOプライベートライブ

 大きな木造倉庫をライブができるスペースに改造した会場。やりやすかった。やりやすかったのだが、1曲、大マチガイしてしまいました。「ダウンタウン」という、EPOさんとライブをやる限りにおいて、やらないことはまずない、であるから、今まで数百回はやっているであろう曲で、一カ所、どうしても指が押さえて欲しいところに行ってくれない、という、実にヘンなマチガイ。お客さんも誰もが気づくようなヘンな伴奏になって、大変無様であったのだが、これは、結構「大脳生理の神秘」のハナシでもあったのである。
 普通、ある曲をやる場合、アタマの中の、その曲のデータの入っている「部屋」の鍵を開けて内容を取り出し、やおら演奏を始めるワケなのだが、この曲に関してのみ、曲の中の一部分だけ、別の部屋に別れてデータが保存されていたのである。その部屋は、普段あまり立ち寄らないデータばかりが保管されている一角にある。    
 で、何が起こったかと言うと、この日、会場か気持ち良くて、演奏直前に、そのもうひとつの部屋の鍵を開けておくのを忘れた、のです。演奏しながらスンナリ鍵を開けて取り出すことも多いのだが、今日は演奏に妙に入っていて、直前まで鍵つきのドアがあることに思い至らず、そのままドアに激突した、というワケである。

 この例え話をEPOさんにしたら、凄くよく理解してくれた。客前表現者には、わりと「わかる」ハナシではないかと思うが、今日は一般の皆様に、特別にそのへんの神秘について、お知らせすることが出来た。しかし、要するに間違えただけで、よくこれだけリクツを言ってエラそうに出来るモンだね、オレも。
1190780277.jpeg 倉庫がそのまま会場に。

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9月22日(土)
 
 

ワタクシが間違っておりましたっ

 横浜モーションブルーにて、「A Night on "Happiness" vol.1」に比屋定篤子と出演。ここのところずっとリハーサルか家での作業が続いていて、客前に出るのは、二週間前の桑江知子さんとのセプテンバーコンサート出演以来である。先月、先々月の、あの出っぱなし状態がウソのような、「違う生活」を送っていたのであった。
 で、会場に入ると、みんなの様子がなんだかヘン。比屋定は、ちょっとぉー、しっかりしてくださいよー、という顔をしてるし、スタッフはあわてた様子で、リハは15分ぐらいでまとめてください、なんて言ってるし。さてはマネージャーN原J氏が入り時間を間違えて伝えてきたんだな、と思って、僕は言われた時間どおりに来ましたよっ、と言うと、N原氏も、う〜ん、間違えて伝えちゃったかなぁ、と、自信なさげ。
 まあ、リハは楽屋でやれたし、本番も申し分無い出来だったのですが、家に帰ってパソコンを開いて確認してみたら、何と、マチガっていたのはこちら。アタマの中で勝手に時間が1時間ズレていたのであった。今まで、入り時間でこういう失敗をやらかしたことは、無かったのになぁ。「いやー、申し訳ないっ」というメールを打ちつつ、これは相当深刻にボケが出てきたなぁ、と、何とも心細い気分になったのであった。
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9月20日(木)
 
 
9/28パルコ劇場に向けて、EPOさん、渡辺亮、ショーロクラブで、リハ。

 一昨年あたりから、また時々EPOさんとショーロクラブはライブをやるようになってはいたが、渡辺亮君も含めて、となると、恐らく96年以来ではなかろうか。今までにも触れていることだが、このメンバーは、90年代半ばにさんざんコンサートをやり、海外ツアーまでやっていた黄金?メンバーだったのである。EPOさんの名盤「wica 」の制作で三者は出会い、ある時期には、誰もが納得する「到達点」に至った、という、どのメンバーにとっても、最も充実した音楽活動の一つとして記憶されているであろう取り合わせなのである。
 で、本当に久しぶりに5人で音を出したワケだが、いやー、いろんな記憶が甦ってきましたねぇ・・・・・・。10年ぶりなのに、何も言わなくても、それぞれが自分の役割も相手のたたずまいも知り尽くして音を出している、という、深い安心感と安定感。
 と、ふとEPOさんを見ると、ぐしぐしぐしぐし、と、泣いているではないかいな。時の経過を想い、出ている音の素晴らしさに感激してしまったのだそうだ。1曲殆ど泣いたままでオワリ、つぎの曲に移り、また泣いたままで終わった。EPO泣く。みんな笑う。でも気持ちは皆同じ(のハズ)。多分素晴らしいライブになるであろう。唯一の心配は、本番で誰やらがまた泣いて歌えなくなることだけ、だな。
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9月19日(水)
 
 
Ze Pinheiro & BOTO リハ。

 9/26プラッサオンゼ用のリハ。このバンドは、ホントにみんなやる気満々である。初めっから仕事度外視で、楽しみのためにやってる、と、覚悟を決めているプロの集まり、つうのも、凄いだろ。こういうライブがホントに楽しいライブなんだぜえっ、と、ちょっと言ってみたりして。
 今年は「フレヴォ100周年」だそうで、我々もそれを記念して、26日のライブは「フレヴォ大会」にしようと思っている。フレヴォというのは、ブラジルはペルナンブーコ州で盛んな、サンバよりも激しい踊りを伴う(語源には「沸騰」という意味もあるのだとか)カーニヴァル音楽である。サンバと同様、踊りの時よりも穏やかなリズムを持った「歌」としてのフレヴォもあって、我々は両方やる予定である。
 当日はもう座席は売り切れ、立ち見のみ、ということだそうだが、どうせ最後は座ってられないかも。ちなみに11月にもライブを予定していますので、今回ダメなヒトは、次回、早めにご予約を。
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9月18日(火)
 
 
近況=作曲、リハ・・・・

 相変わらず作曲とリハの日々。作曲は、来月録音のARIA第三シリーズのChoro club with Senoo用の楽曲と、同じく来月アタマにレコーディングする予定のコーコーヤ新譜用の楽曲。
 おかげさまでコーコーヤの楽曲は既に出そろい、既にリハも佳境に入っています。相当良い曲が揃ったので、ご期待を。ARIAの方も、もうちょっとで納得の行くところまで行きそう。リハと言えば、これからの一週間は、コーコーヤだけでなく、EPO with CHORO CLUBの9/28パルコ劇場用のリハ、Ze Pinheiro & BOTOの9/26プラッサオンゼ用のリハ、かとうかなこちゃんのリハ、と、リハ続きで、こういうのも結構楽しい(けど疲れる)。それから、実は某Jリーグチームの応援歌の制作を依頼されていて、これが結構プレッシャーだったのですよ・・。
 今までの僕の作曲活動は、ショーロクラブの楽曲に代表されるように、まあ、やりたいことをやりたいようにやればヨカッタわけです。ところが、スポーツチームの応援歌というのは、1,覚えやすく歌いやすい、2,元気である、3,曲が良い、というような条件を満たしていないといけない。
 3番目の項目については運と才能の兼ね合いの問題もあって「しょうがない」部分もあるものの、1と2については、絶対にはずせないワケで、特に1については、共作者&シンガー比屋定篤子に「笹子さんを憎みそうになります。歌えるもんなら歌ってみろと言いたい。」などと言われるような「覚えにくく歌いにくい」曲を作ることを得意とする僕としては、結構「関門」だったのです。
 というようなことをノンビリ語ることが出来るのも、一応「出来た」からでして、自分の判定では、上記3項目を全てクリアしたカンジがっ。これからアレンジをして来月中にレコーディングをするワケですが、もちろん「応援歌」のサウンドプロデュースも初体験。まだまだクリアすべき関門は残っているものの、やっとゴールが見えたかな、という所に来たカンジ。
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9月13日(木)
 
 
ここのところ、作曲、リハ、飲み会の日々

 日々作曲、である。何も無いところから、ヒトを納得させる音列?を思いつく、というのは、なかなか大変なことなのである。いつもアタマが創作に向かっているような、いわゆるアーティスト質なヤツはそんなに苦労しないのかもしれないが、普段余計なことにばかりに気が向いている僕のようなニンゲンの場合、まず脳ミソの環境を"創作仕様" に作り替えるだけでも、随分大変な作業なんである。・・・、しかし、これだけ「おおやけ」に向かって仕事についての愚痴を言い続けるヤツもいないだろうな。ヤレヤレ。
 で、リハ。昨日は、コーコーヤのリハを久しぶりに三人揃ってやった。レコーディングに向けての新曲出し中心のリハだったのだが、うーむ、思った以上に新曲の質が高い・・。使える曲が何曲出るか、から、どれを削らないといけないか、に、悩みの質をチェンジしないといけない状況である。自分の曲も、3人でやるととたんにコーコーヤサウンドの中で立ち上がってくるカンジ。お嬢様方は、実に素晴らしいアーティスト達なのであった。
 飲み会。大学サークルの飲み会と、中学同級生の飲み会が続けてあった。一日作曲をしてるワケにも行かないので、夜は飲む。大学のサークルについては「都の西北のアホサークル」のハナシを当欄にて前にもご紹介しているが、どいつもこいつも(岡部洋一だけでなく)ブタになってて、ビックリ。現役時代は同じような体型だったヤツラが、みんな相撲取りのようになっていて、笑うしかない。やれやれ、ブタになったのはオレだけではなかった・・・。中学の同級生のハナシもまた凄かった。海外赴任から帰って来たら、ムスメが全校900人の学校の総番長になってたんだって。それってどうよ・・・・。

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9月10日(月)
 
 
江藤有希さんとコーコーヤレコーディングのためのリハ

 コーコーヤ10月レコーディングに向けて、そろそろ詰めの作業にかからねばならぬ時期である。今年は「ダメ」なスケジューリングに終始してしまっている僕としては、9月だけは比較的ユルイスケジュールにしていたつもりだったのだが、気がつけばそんなことは全然無く、この一ヶ月の間に、コーコーヤ新譜用の作品、ARIAサントラ用作品、他にも作曲関連の仕事を全て片付けなければならず、それと平行して、各ユニット・企画のリハ、本番もあって、タスケテクレー、な日々である。本当に人生はツライっ。
 とも言っておられず、ここ数週間では久しぶりにずっと家にいられる昨日一昨日の二日で、出せるモチーフを全部出して(アブラを絞られるガマの心境でした)、取り敢えずまとめて、今日の江藤さんとのリハに持ち込んだ。江藤さんに曲の判定をしてもらって、使えそうな曲も幾分あることがわかり、どうやら人心地ついておるところです・・。
1189443970.jpeg コーコーヤ名物、カラオケ屋リハ

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9月9日(日)
 
 
桑江知子さんとセプテンバーコンサート出演。

 センプテンバーコンサートは、2002年のニューヨークでの同時多発テロを契機にアメリカで始まった平和希求を目的とした「同時多発」コンサートのイベントで、日本では、歌手の庄野真代さんが呼びかけて、2005年から続けられている。今回、桑江ー庄野イベント出演のご縁で、浜松町の文化放送内の会場にて参加させていただいた。共演者は、ブレッド&バター、サーカス、杉田二郎さんなど。(名のある、しかしながらぜ〜んぜん面識も接点も無い大先輩諸氏と同じ楽屋つうのは、なんか消耗するなあ。あ、ブレバタの幸矢さんには、かつてお世話になったことが。)ちなみに庄野さんは、国際平和ボランティア活動などに大変ご熱心で、内外の大学や大学院で今に至るまでその方面の勉学を継続されている。アタマが下がるのである。
 しかし、庄野さんといいEPOさんといい、歌手というリッパな社会的にも認められた職業を持ちながら、学校に入り直してまで勉強し、新たに社会に関わっていこう、というのは、ホントに凄いことだと思う。凡人にはわからない「やむにやまれぬ何か」があるのかもしれないが、ギター弾きというハンパな生業ひとつでアップアップしている自分と比べ、その人生に対するボルテージの違いを思うと、何だかグッタリしてしまうのである。
 それはさておき、今日のライブがON AIR されることに。
9月20日(木)19:00-21:30「文化放送ライオンズナイタースペシャル 2007セプテンバーコンサート・文化放送スタジオライブ」

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9月8日(土)
 
 
足立区、カフェクレールにて、桑江知子さんライブ

 足立区って、行ったことが殆ど無いなぁ。僕は30年近く前に東京に来て以来、早稲田近辺、千駄ヶ谷近辺、世田谷・桜新町近辺へと住居を移し、今は大和市という、大雑把に言えば東京の西、横浜の西北、に住んでいる。関西出身だからか、何となく関西に少しでも近い西東京側に住み処を選んでしまう習性があるようだ。
 カフェクレールは、足立区西新井という、そういう僕にとって全く未知な「北東京」下町ど真ん中にあるジャズ喫茶系のお店。長い商店街を抜けていくところが、既に郷愁を誘う。お客さんも、まさに「ザ・下町」といった風情の皆さんで、元気でガヤガヤしたカンジが、最近行ったところでは、沖縄のコザのお客さんによく似た雰囲気が。       
 いろいろな性質の音楽をやっていると、いろいろな性質のお客さんと出会うことになる。ある意味ハードでもあるが、いろいろな場所・ニンゲンの中でいろいろな形で音楽が楽しまれている現場に接する機会を持つことは、こちらの音楽的フトコロを肥やすことに役立っているという実感もある。


1189311265.jpeg 思わず立ち止まるディスプレイ

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9月3日(月)
 
 
都内某所にて、ジョゼ・ピニェイロ&BOTO、9/26プラッサオンゼ用のリハ

 このグループは、音楽だけでなく、段取りその他全てのことが、ブラジル風のリズム感のもとに進行していく。やっている音楽が、ジョゼの醸し出すゆったりとしたブラジル的なリズム感のもとにジックリと消化吸収されるのに相応しい、と、多分僕らみんなが考えているから、そうなるのだと思われる。
 例えば今日のリハ。いきなり、ジョゼが「ササゴ、やりたい曲があるんだけど、譜面、無いんだけど」と。いいっすよ、じゃ、譜面を起こしましょう、と、みんなが談笑している脇でヘッドホンつけて一生懸命譜面を起こすワケです。で、やっとのことで仕上げて、取り敢えずリハをしたら、「えーと、これ、フレヴォbPという曲で、bQとか、bRとかもあるんだけど・・」と。しょうがないなぁ、と、また譜面を起こすわけです。そんなことをやっているうちにどんどん時間は経っていって、結局5時間で3曲ぐらいしか練習が出来なかったではないかいな。僕はそのうちの殆どの時間を、譜面おこしに奮闘していたワケです。
 でも、誰もこの状態を不思議にも不満にも思わない。その間みんなは、1年ぶりに会ったジョゼと久闊を叙し、ジョゼの話すブラジル音楽の最新事情に耳を傾け、彼我の友人達のウワサ話をし、新曲のリズムのアプローチについていろいろ話し合ったりなどしているのである。まさにブラジルで過ごすのと同様な、ゆったりと芳醇な時間が、メンバーのもとを流れている。その中、汗を拭き拭き時計を気にしながら譜面を書いている僕のもとにだけは、そのゆったりと芳醇な時間は流れないのである。
1188869179.jpeg 「ササゴ、あと何曲か、凄くカンタンな曲があるんだけど、フメン、無いんだけど・・・」

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9月2日(日)
 
 
TD(トラックダウン)

 新潟より戻ってきて、余り荷物が重かったので(お酒を沢山いただきましてん。さすがは米どころ。)一度家に帰って荷物を下ろしてから、ハピネススタジオに。今日は、比屋定篤子レコーディングのTDの立ち会い。比屋定さんも、何度も何度も沖縄からやってきて、ゴクロウなことである。
 演奏してから少し日を置いて行うTDは、自分たちが残した音を客観的にもう一度確認する作業でもあり、結構新しい「発見」があったりする。それがイイ発見であることもあるのだが、悪い発見に青くなったりすることもある。既に音を録るプロセスは終わっているので、もう演奏自体の変更は出来ない。でも人間のやることなので、必ずヘンな場所は残っていて、音録りの時に気をつけたつもりでも、見逃してしまってTDの時に初めてそれに気がつく、ということは、しばしば起こるのである。
 ショーロクラブのように一発ナマ録りが基本のグループにおいては、正直に言えば、1曲に一カ所ぐらいはおかしいところがあって、それは演奏時点で気づいている場合も多いのだが、「間違えたからもう一回録ろう」と主張しても、よっぽどのマチガイでなければ、大抵他のメンバーに「もうイヤー」とか言われて、多数決で却下されてしまう。で、それをTDの時にもう一度確認するというのは、更に嬉しくないことなのである。ま、大抵の場合、数ヶ月後の発売日の頃には、自分でもどこがいけなかったか、ザっと聞いただけではもうわからなくなっているのだが。
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9月1日(土)
 
 
新潟市にてEPOライブ

 豊栄の米作農家の人達が中心になって作っている「きてくんなせ〜や」というライブ企画サークル(と言う言い方が正しいかあんまり自信が無いけど)による、EPOライブ。この「きてくんなせ〜や」とは10年に渡るおつきあいがあり、毎回凝った企画を立てて迎えてくれるのだが、今回は、ホントに「極致」でした。
 会場は、福島潟という湿地のほとりにある古民家風のデザインを持つ公共施設。お客さんは何も知らずにライブを見て、前半が終わって休憩となり、客席ウシロのシャッターが開いたとたん、何とっ、花火とともに会場の前庭が「夏祭りの夜店」に早変わりしているではないかっ!という仕掛け。お客さんが会場に入る時にはその気配を全く見せずに、ライブをやっている間に前庭に食べ物やヨーヨー釣りの屋台から人形劇の小屋まで全て揃った「夏祭り」をスタッフ総出で(ライブも見ずに)作り上げてお客さんを驚かそう、ということなのだが、もちろん屋台や人形劇の内容も全て本格的。ただの演出だけではなくて、その夜店ひとつひとつでもキッチリ楽しんで貰おう、という気配りが行き届いている。毎日の仕事の傍らでこういうイベントを企画立案して、実際にいろいろなものをローコストで揃え、メンバー一人一人が的確に動いて、キッチリ実行する、というのは、並大抵なことではないであろう。
 要するに、大の大人が、必死になって身を削って知恵と力を合わせて「遊んで」いるのですね。これが文化ってモンだろうなあ、と、心底感服した。個性的で手作り感があって、しかもレベルが高い。こういう「遊び」、東京近辺では見たこと無いなぁ。地方の方がよっぽど身が詰まってるカンジ。
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1188710163.jpeg 福島潟

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