2008年3月の日記:[以前の日記]
 
 
3月28日(金)
 
 
仙台にて、国府弘子さんゲストに EPO コンサート

 朝早い新幹線で、名古屋から東京を経由して仙台へ。今日の仕事は、EPOさんがDate fmで12年にわたって担当している番組「風の散歩道」のスペシャルコンサート。ゲストは国府弘子さんである。
 国府さんはジャズ界を代表するピアニストであり、今までちゃんと共演したことは無かったのだが、EPOさん、八尋洋一など、親しい人脈が重なっていることもあって、事実としては「面識がある」というぐらいの関係であるにもかかわらず、お互いに随分昔から知っているような気分になっている。たまに出会うと、”百年の知己” であるかのように、親しく接してくださる。今日も、関係者の皆さんから、3人のコラボがとても良かった、というお褒めの言葉を多くいただいたが、そういう意味でも、やっとご一緒出来ましたね、という気持ちであった。
 ところで、この方は、ウワサでもいろいろ聞いていたのだが、EPOさんとよく似たタイプの大変ユニークなキャラをお持ちで、数々の逸話が残っている。その中で、僕に関連したハナシをひとつ。ーーー前にSTBでEPOさんのライブをやったあとで、国府さんが楽屋に挨拶に来られたのだが、結局僕とはハナシを交わすことなく、僕の前は素通りしていかれた。いつもフレンドリーなのにヘンだな、とその時は思ったのだが、あとで「国府さん、ササジーに、凄い良かったって言ったんだってね」とEPOさんに言われ、狐につままれた気分に。EPOさんの関係者の中で僕に顔が似ていると言われているMさんという人がいるのだが、どうも国府さん、その人に向かって「熱い思い」を述べて帰られたようなのであった。

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1206868308.jpeg 手にメモとか書いちゃうヒトらしい

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3月27日(木)
 
 
名古屋TOKUZOにて『植木 等 追悼ライブ2008』出演

この企画は、NUUの発案によるものである。 NUUの呼びかけに、TOKUZOや、ETT、名古屋無責任オールスターズの面々が応えてくれて、実現の運びとなった。とは言え、今回の出演者はみんな「ドリフ世代」以降であって、クレージーをリアルタイムで体験しているワケではない。関係者の中では、森田店長と僕だけがかろうじて小学校低学年ぐらいにかかっていて、一番初めにアタマに埋め込まれた「流行歌」が彼等のものだった可能性もある、というカンジである。
 実際に植木等やクレージーキャッツというのは、「高度成長期」というひとつの時代を代表する存在であって、しかもそれは、ただ楽曲や歌や、という部分においてだけでなく、あの時代の熱気とフラストレーションのはけ口としての、大変重要な存在でもあったのである。彼らが歌う「無責任」というのは、実は脇目もふらずに働いていた僕の父親世代の人達の「夢」だったのかもしれない。その"カンジ"が、このメンバーで出せるかな、というのが、一番の関心事だったのだが、フタを開けてみれば、いやー、素晴らしかったですっ。
 恐らくメンバーの中にはクレージーのことをよく知らない人もいたのではないかと思うのだが、初めてちゃんとソレを聞いて、あるいはDVDなどで実際に見て、その面白さに十分感応して、凄くそれを好きになって、演奏中のコントまで一生懸命練習したりなどしてそれにのめり込んでいる様を、あの場に居た人は、みんな感じ取れたに違いない。植木等も、これだけリスペクトされたら、本望なのではあるまいか。
 しかし、結局当夜の「オイシイところ」は、飛び入りで「はい、それまでよ」を歌った森田店長に、全部持って行かれた気もする。リアルタイム最後の世代であり、「バーやキャバレーで、灰皿盗みぃ」「いかしたオンナを見ればぁ、手当たり次第に口説きぃ」「それでも社長になったぁ」という、クレージーの歌詞そのままな人生を送ってきた森田さんの説得力には、誰も勝てない。
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3月25日(火)
 
 
aminさんの、4月1日澁谷ライブ用リハ。

 弦楽器奏者の有田純弘さんと一緒に、音合わせ。今までのaminさんの音楽のサウンドと、いかに整合させていくか、工夫のしどころである。有田さんは、マンドリン、バンジョー、ブズーキなど、何でも弾きこなしてしまう凄い人で、こりゃーオレはラクだわ、と密かに思ったのであった。
 aminさんには、文化大革命以降の中国の、外国からの音楽の受容について、おもしろいハナシをいろいろ伺う。それまで外国音楽といえば、ロシア、北朝鮮、というカンジだったのが、いきなり「カントリー」が大流行になったそうな。何でカントリーなんだろうね?

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3月23日(日)
 
 

石川県小松市にてNUU、谷川賢作さんとともに「いのちにやさしいコンサート『はるまちのうた』」出演 

 久しぶりのダブルヘッダー。一回目は本覚寺という古刹。二回目は「絵本館ホール」なる、もともと古い銀行の建物であった所をイベントホールとして使っている、大変シブい所。
 このイベントを主催しているのは「いのちにやさしいまちづくり」を考える会、という団体。難病ALS(いわゆる筋萎縮症)の患者を支援しているところである。賢作さんが前から関わっておられる所で、今回は賢作さんを通じてのご縁で、呼んでいただいた。一部が、やはり宮崎でホームホスピスを運営されている市原美穂さんという方の講演、二部が我々のコンサート、という構成で、なんだかいつになくシリアスな背景はあったワケだが、実際には笑いの絶えない、とても楽しいイベントとなった。
 ALSは、僕も近親者をこの病気で亡くしているので、患者も周囲の人達もどんなに大変かは多少は理解しているのだが、支援しているこの団体のリーダーSさんや同じく死に瀕している人と日々向き合っている市原さんの、エネルギッシュで明るいパワーに、感服。本当に大変な思いをしながら日々生きているこういう人達のこういう姿を見ていると、オレなんかアカンなあ、と、逆に思ってしまったり。
1206454896.jpeg 「さすがは古刹」な大木

1206454897.jpeg 案内していただいた釜飯屋さんが、またよろしうおます。

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3月22日(土)
 
 
富山、「HERE WE ARE!45CAFE」にてNUUライブ

 この冬最後の雪景色を見つつ、上越新幹線〜北陸本線を乗り継いで富山に。会場の「HERE WE ARE!45CAFE」は、ウッディーな造りの小ライブにうってつけのスペースであった。
 NUUとは、去年はあれほどやったのに、今年は何故か今回が初めてのライブ。いっっっぱい忘れてて、ちょっとビックリ。経験回数が多いと無意識に音が出せるようになって、それはとてもスバラシイことなのだが、このように時間が中途半端に経ってしまうと、その無意識でやっていた部分が全て「地雷」に変質するのである。ちょっとコワイ一日であった。
 終演後、ササゴさんの50歳最初のライブを奪ったぜい、と、NUU。僕はなんかしらんけど、ヌウに奪われてしまったらしい。

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1206250770.jpeg ホタルイカ。美味。

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3月20日(木)
 
 
代官山「晴れたら空に豆まいて」にて、比屋定篤子「春祭り」
 
 比屋定さんとのライブは僕とのデュオでやることが殆どだが、今日は「春祭り」ということで、ゲストにsaigenjiとコーコーヤを交えて、という、豪華?版である。一部をササーヒヤデュオ、デュオ+saigenji、saigenjiと比屋定のデュオ、と流して、二部は全編コーコーヤがサポートする形を取った。コーコーヤは、僕の分類によれば典型的な「ユニット」なのであって、決して重量級のサウンドではないのだが、いつもは二人で寂しくやっているせいもあり、久しぶりに大層「お金持ち」になった気分になれた。貧乏性の比屋定さんも、出番前は、持ち慣れない大金に戸惑っているふうだったが、始まってみれば、ここしばらくでは最高の出来だったように思った。いいライブだったですね。
 実は明日が僕の誕生日ということで、アンコール時にはバースデーケーキとバースデーテビチ?が舞台に運び込まれ、皆さんに祝っていただいた。自分に関しては派手なことは苦手なのだが、前々から比屋定事務所社長N原J氏には、何らかの形でキッチリお祝いするから、と釘を刺されており、ある種覚悟も出来ていたので、素直に嬉しかったです。「50代の世界へようこそ」と、複数のオジサンに言われた。ホント、半世紀も生きてりゃ、いろいろどうでもよくなってくるよね。
1206065366.jpeg 誕生日らしくないプレゼントの数々

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3月18日(火)
 
 
chieツアー最終日、澁谷クラブクアトロ

 9日のリハから10日間、ずっとこのバンドと時間を共にしてきた。僕は余り規模の大きな仕事はお呼びがかからないタイプ?なので、なんだかこういうのは実に久しぶりだった。しかし、すべてがウマイ方向に廻っていったカンジだった。音楽もメンバー間のコミュニケーションも含めて。
 実際、こういう「バンド」サウンドを作るのは実に久しぶりだったのである。ちなみにショーロクラブやコーコーヤは、バンドというよりも「ユニット」というカンジ。どこが違うか、と言われても微妙なんだが、僕のボキャブラリーの中で言う「ユニット」というのは、細密な手作業による細工ものみたいなイメージ。「バンド」は、大きな素材を使って作るモノ、というイメージ。自分の本来の在り方は、手作業細工系だと思っているが、今回のバンド作りは、大変楽しめた。
 今日のライブも、今回のツアーの集大成のような、上出来なものだったと思う。超満員のお客さんの前でやれたのも、嬉しかった。今後もこの「バンド」は、是非いろいろ運用したいところである。
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3月17日(月)
 
 
心斎橋クアトロにてchieライブ

 昨日は、chieと僕以外はみんなフリー。それぞれに勝手に岡山から大阪のホテルに入った。ヒットミーはたまたま大阪であったsaigenjiのライブを見に行き、秋岡欧は某ブラジル音楽ファンの古老の誕生パーティーをやっているchove chuva に顔を出し、危険を察知してすぐさま逃げ帰り、織原君は神戸でのchieと僕のライブを見に来て、一緒に水餃子を食って帰った。特筆すべきは岡部洋一の行動であろう。
 彼はまずひとり岡山から高松に渡り、うどん(当然揚げ物入りだろう)を食してから船で神戸に移動、さらに大阪で安い焼き肉を5000円分たいらげ、バーに移動して生ハムを肴に酒を飲んだのだそうである。この食に対する執念は、何なのだろうか。一日四食のうち、揚げ物は絶対欠かさないし、打ち上げも必ず最後までつきあう。誰か止めてあげないと、大変なことになると思うのだが、どうか。
 てなことはともかく、今日は大阪でのライブである。もう演奏上の不安は全く無く、気楽なことこのうえない。そういう状況なので、一回一回のライブを、みんなただただ楽しんでいるカンジ。今日もダブルアンコールをいただき、意気揚々と引き上げたのであった。
1205820199.jpeg saigenjiからのことづけ

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3月16日(日)
 
 
神戸ラフレアにてchieとデュオでライブ

 今日はツアーとは別件のイベント出演。毎日十分な内容のサウンドでやっている曲をギター1本でやらねばならない、というのは、なかなか心配なことだったのだが、まあ、なんとかなるもんですね。部分的には結構苦労したけど、逆にデュオならではの緊迫感みたいなものも出せたし、全体としては納得出来る内容になったと思う。
 しかし、やっぱり二人しかいない、というのは、使うエネルギーの量の違いを、凄く感じる。1曲ごとに、実に大量の集中力を発揮せねばならず、終わった時にはヘトヘトに。考えてみれば、普段、毎日のようにデュオパフォーマンスをやっているワケで、オレがいつも疲れているのはそのせいだったのか、と、改めて気づかされたのであった。
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3月15日(土)
 
 
ツアー三日目。岡山MO:GLAにて、chieライブ

 メンバーは、福岡で一日それぞれにoffを過ごしての岡山への移動、岡部は新富士から、僕は神戸の実家からの移動。新神戸から岡山までは30分あまりで、都心からウチに帰るまでよりよっぽど早い。
 ライブの内容だが、前回で既に「成熟」したと書いたが、今回は、早くも香ばしく「熟れ崩れ」てきたカンジ。それぞれ、自分の工夫で決め事を壊し始めているところが、おもしろい。自由に壊しながらそれぞれに反応しあえるようになったら、更におもしろくなるだろう。
 岡山は、今で余りご縁は深くなかった(去年の夏のNUU以来)のだが、昔お世話になった方やショーロクラブのファンの方、5月に比屋定さんとライブをやる予定なのだがその関係者の方や「比屋定さんと昔バンドやってました」という方など、多くの方に見に来ていただいた。反応も上々で、今回は初めてダブルアンコールもいただいた。メンバーも、大変イイ気分にさせてもらったのである。
1205635868.jpeg そろそろカラダがなまってまいりました

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3月14日(金)
 
 
 発表時期の制約の問題でご報告していなかったのだが、過日、Jリーグ、ガンバ大阪の公式応援歌を制作した。万博スタジアムでは、当面、ガンバが勝ったら流れることになっているそうである。
 最初に相談を受けたのは去年の夏。メディア関係者も含め、いろいろ話し合いをして、制作の道筋を作った。まずサポーターの皆さんに歌詞を構成するキーワードを出していただき、熱烈なガンバフリークの作詞家・市川義康さんにそのキーワードをもとに歌詞を作っていただき、それに僕が曲をつけた。
 応援歌というのは、誰でも歌える覚えやすくて印象に残る旋律が不可欠である。比屋定さんあたりにいつも「歌いにくいっ」と文句を言われている僕としては、一抹の不安もあったのであったが、幸いにも、思い描いたとおりの内容のものを作ることが出来た。
 曲はサンバ調の、しかしながら難しくない(=ともかく難しくしないということに、ひたすら苦労したんである)もの。ベーストラックの制作では、地元大阪を代表?してヤーソに7弦ギターで、あとはバランサのDENとKOKKYにカヴァキーニョとベースで参加してもらった。リズム面は福和誠司に構成を作ってもらい、服部正美さんと二人で延々多重録音を繰り返してもらって、それに参加メンバーやスタジオに遊びに来てもらったコーコーヤメンバー、谷本賢一郎さん、竹内浩明さん、果ては桑江知子さんにまで来ていただいてコーラスを何十にも重ね、最終的に数百人!の打楽器隊とコーラス隊、という、なんだか凄いことに。更にその上に村田陽一君にブラス隊をいれてもらって、これでもかっ、な、我が生涯最高ド派手サウンドに仕立て上げたのであった。その後、今度は大阪に場所を移してガンバ大阪の選手の皆さんにも参加してもらって更にコーラスを重ね、押しも押されぬ?応援歌が出来上がったのであった。
 この応援歌、これから徐々にCD化を始めとして運用整備して行く予定だそうで、テレビなどでも流れることが今後出てくると思われる。「第二の六甲おろし」を目指して、育って欲しいものである。
1205636421.jpeg コーラス入れ

1205636422.jpeg エンジニアIさんと誠司(のアタマ)

1205636423.jpeg 村田陽一ブラスセクション

1205636424.jpeg 大阪のテレビ局スタジオにて、ガンバ選手のコーラス入れ

1205636425.jpeg ミーハーショット。橋本選手と。

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3月13日(木)
 
 
chieツアー2日目、ビルボードライヴ福岡にて

 福岡に向かう新幹線の中でchieさんにもらった「蓮根飴」を食べてたら、歯の詰め物が取れてしまった。到着後、さっそくサウンドチェックまでの短い時間に会場近くのK歯科へ。事情を説明したところ、すぐに詰め物を詰め直してくれたのは良かったのだが、そこから、良い歯の磨き方についてのレクチャーを延々受けるハメに。よく10分も20分も歯を磨いているヒトがいるが、あれは結局歯の表面も傷つけることになって、アカンのである、というようなハナシをしつつ、46歳男性の磨きすぎの歯のレプリカを持ってきて詳細に説明してくれるのだが、こちらは入り時間が過ぎていくので気が気でない。数十分ののち、ようやく解放されて会場にすべりこんだのであった。でも、いい歯医者さんでした。福岡で歯が悪くなった方は、是非天神のK歯科へ。
 ライブの方は、二日目にしてほぼ「成熟」の域に達した模様。あとは崩れていく?のを楽しむだけかな。明日はこのツアーはオフなので、打ち上げも「腰を据えて」モードに。岡部だけは明日は新富士にて別件ライブのため、朝7時の新幹線に乗らないと行けないというのに、彼もキッチリ3時過ぎまでおつきあい。エライ人だねえ。僕も所用にて、一足先に関西へ。
1205469001.jpeg エライのか、バカなのか。

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3月12日(水)
 
 
名古屋クラブクアトロにて、chieツアー初日

 初日というのは、何かと神経質になるものである。リハーサルの段階では、1曲1曲に集中してその曲を仕上げていくわけで、目の前の曲のことだけ考えておればイイのだが、さて、初日を迎え幕が開いてみると、目の前にはお客さんがいて、これからすべきことは、「一夜の充実した時間をみんなで作ること」だったりするのである。いろんな懸念雑念がアタマをもたげてきて、リハーサルの時のように音楽に集中するところに、なかなか到達しない。
 しかしながら、そういう新鮮さがおもしろかったりもする。思うに、ツアーの内容というのは、果物が熟れていくのに似ていると言ってもいいかもしれない。最初は青くて身が締まっていて味は淡泊、日が経つにつれ熟れて香りは高くなってくるが、だんだん柔らかくグチャグチャになってきて、しまいにはトロトロで部分的には若干腐りはじめてたりして。しかし、各段階には各段階の美味しさがあり、結局は食べる側の好み、ということになる。一番ゼイタクなツアーの見方は、初日と中日と最終日を、それぞれ見にいくことではなかろうか。
 で、今日の出来であるが、大変に美しく表現すれば、「新鮮で身が締まっていました」。いつも名古屋での活動をサポートしてくれるSさんに感想を聞いたら、「初日ーってカンジだった」と言われた。
1205379507.jpeg ザ・楽屋

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3月11日(火)
 
 
 この3日間、ずっと明日からのchieツアーのリハをやっていた。3日もリハをみっちり出来るというのはゼイタクなハナシであって、インディーズな企画においては、1日のリハ、というのが、最も普通のケース。かつて某メジャーバンドのツアーに参加した時は、リハだけで何十日、というカンジだったが、あれは本当に必要なことだったんだろうか・・。いずれにせよ、今回のツアーのリハにおいては、やるべきことは全てやった。あとは本番を楽しむのみ、である。
 というワケでリハを終えて帰ってきたら、「今更ですが・・。」というメールがchieさんから。××という曲、いいんですよぉ。聞いてみてください。譜面作れなんて言いませんから、と。それ、譜面作れって言ってるんだろうがっ。
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3月9日(日)
 
 
 早朝無理やり起きて電車で宮崎空港へ。羽田から家に帰って荷物を置いて、そのままリハへ。こういうのは、もう止めようと思っていたのだが、結局やっぱり今年もコレかよ、の気分。
 何のリハだったかと言うと、12日から始まるchieツアーのリハだったのであった。今回のツアー、メンバーは、秋岡欧、岡部洋一、ヒットミーにボファーナの織原良次という、世代横断型の、ちょっと異色な組み合わせ。chie自身も含め、一部を除いては初顔合わせということもあり、相性やバランスについて若干の不安を抱えつつアレンジ作業を行っていたのだが、フタを開けてみれば、今日は都合により岡部不在であったにも拘わらず、グルーヴもバランスもバッチリ。既に殆ど出来上がっている状態である。エラそうに言わせていただきますが、このツアーは聞いてソンは無いと思うぞっ。
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3月8日(土)
 
 

宮崎県門川町にて「かどかわハートフルライブ、EPO&坂本サトル」出演

 朝、伊丹でEPOさん一行と落ち合い、宮崎へ。さっそく名物「ひやじる」を食し、電車と車を乗り継いで門川へ。今まで宮崎での仕事は、殆どが宮崎市内か、県南部の都城市であって、空港より北に行くのは初めてのこと。ウワサによれば、「東国原効果」で、宮崎県は宮崎市内を中心にいくぶん活況を取り戻しつつあるそうで、交通網整備の遅れている県北部への道路施設は住民の願いでもあるのだとか。東京にいては実感出来ないことが、いろいろあります。
 僕にも経験があるが、土地とミュージシャンって、時折、とても深いつきあいに発展していく。EPOさんもこちらには何度か呼んでもらっているそうだが、今回の門川と坂本サトルさんとの関係も、どうやらそういうカンジのもののようであった。坂本さんは「おとこが惚れる」(EPO談)タイプで、しっかりと足の地についた活動をされているアーティスト。今後も何カ所か、坂本さんとは一緒になる場所があるようで、これも「類友」のひとつの形なのかもしれない。
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3月7日(金)
 
 
大阪、八尾にてイベント「うふふふ・・・きゃらふるとEPOが出会うとき2」参加

 昨日は神戸にて、4月末にショーロクラブで参加する、NHK-FMのブラジル移民100年に関する特番に関するミーティングを。このイベントは、対バンで、中南米で活躍する演歌歌手の井上さんという方も参加される。純然たる日本人で、日本在住なのだが、日本でより、中南米の日系人社会での方が名前が知られているのだそうだ。中南米との音楽の関わりと言っても、いろいろあるのである。その後、某メディア関係者と密談。何かおもしろいことがまた始まりそうな・・・。
 今日は八尾にて精神障害者支援団体きゃらふるのイベントに参加。ここは、数年前からワークショップを企画するなど、いろんな形でEPOさんが関わってきた所で、6年前にも同様なイベントがあり、その時も参加させていただいた覚えがある。6年前に比べ、スタッフ・参加者ともに、イベントを作ることを楽しもうという姿勢が、ずっとアップしていて、その分こちらも楽しく参加させていただくことが出来た。
 
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3月5日(水)
 
 
植木等

 昨日今日と、二日続けてNUUとリハ。考えてみたら、NUUと音を出すのは、今年になって初めて。去年あれだけ沢山一緒にやっていただけに、なんだか奇妙な気分。でも、同時にとても新鮮だった。エネルギッシュで、強いオーラを飛ばしてるカンジなのは、相変わらずでした。
 昨日は今月22日23日の北陸ツアーのリハを、谷川賢作さんを交えて。3人でのライブも、もう何度も経験しているので、何の問題もナシ。で、今日は27日名古屋TOKUZOで行われる「植木等追悼ライブ2008」のリハを。植木等の曲ばかり7曲アレンジしたのだが、なんかリハやってる間中、大笑いしていた。本当に楽しい。こういう曲をやる機会を用意してくれたNUUには全く「感謝感激」である。
 しかし、この時代の商業音楽はどうしてこんなに豊かなんだろうか。今聞いてもこれだけ受けるんだから、凄いよね。翻って今の商業音楽は、次の時代には殆ど残ってないだろな。
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3月3日(月)
 
 
aminさんのデモレコーディング

 お姉さんのウェイウェイ・ウーさんにも参加してもらって、3人で音録り。全然接点が無さそうで、実は共通の共演者が沢山いることが判明。今後、いろいろご縁が深まりそうな予感。
 レコーディングの内容は、誰でも知っているようなJ-POPナンバーやビートルズナンバーから、日本や中国の昔の歌まで。3人でやると、どこの国の音楽だかわからないけど、何だか懐かしいホっとするような音楽になる。これはなかなか行けてます。5月30日に横浜で、この3人に数名を加えた編成でのライブが決まっている他、レコーディングも視野に入れつつの活動となる。
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3月1日(土)
 
 
久々のコーコーヤライブを青山プラッサオンゼにて

 前日、久々に譜面を取り出して練習してみたら、随分忘れているではないかいな。それもそのはず、コーコーヤ単独のライブは今年初めてなのであった。
 しかし、前回と違って「前日に譜面を取り出して練習」する時間的余裕があったのは、有り難かった。本番では、落ち着いて演奏を楽しむことが出来た。お嬢様方も、力が抜けて、リラックスして演奏していたように見受けられた。力を抜く、という面において、新境地の見えた一日だったかもしれない。
 実際、このグループももう4年目、能力的に、ものすごくレベルアップしたことを実感する。個人的なキャパシティーの面でも、老人一名を除いて、心身ともに、大成長したと思う。そのお役に立ったのだとすれば、それだけでもこのユニットを始めて大正解だったと言えよう。6月頃にはCDも出るし、今年こそは、「社会的」にも一歩前進したいものである。
 ところでこの日は、ブラジル音楽ファンの某古老の60歳のお祝いがあり、客席には日本で二人目のアマチュアサンバ演奏者K氏夫妻の顔も。K氏とは、僕が大学2年の時に知り合って、当時存在した唯一の本格的サンババンド「サンバホーゼ」に呼んでいただいて、カヴァキーニョ(!)を弾きにいったりしていた。そういや、僕の初めてのレコーディングも、ギターじゃなくてカヴァキーニョだったなぁ・・。トシとってくると、昔話が多くなるのである。
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