2010年4月の日記:[以前の日記]
 
 
4月28日(水)
 
 
レコーディング6日目

 レコーディングもそろそろ後半戦。今日は、14日にYaeさんとデュオで録った曲に、秋岡欧先生の12弦ギターをかぶせる作業から。当初、敢えてショーロクラブメンバーははずそう、という考えを持って今回のレコーディングに臨んだのであったが、しかし、Yaeさんと録った音源を聞いているうちに、秋岡先生の12弦の音がどうしてもイメージされてしまうようになり、あっさりと当初の予定を変更。で、結局イメージどおりに仕上がった。やっぱりな。
 
 次いで、岡部洋一&コモブチキイチロウ君に黒川紗恵子クラリネットを加えたメンバーで、今回一番サンバらしいナンバーを。歌と歌詞はアンサリーさん。曲の内容は、「台所で料理をしながら、昔二人で訪れたリオデジャネイロを思い出す」というもの。たまねぎとトマトとキャベツがお鍋の中でカポエイラをする、という、楽しい歌詞がついているのだが、実は今回のアルバムでもしかしたら一番難しい曲だったかもしれない。が、もちろんこのメンバーなので、あっさりクリア。あとから黒川さんが、これまたゴキゲンなクラのセクションを重ねていれてくれて、全曲中一番躍動感のあるナンバーに仕上がった。
 
 夕方からは、先日、途中で飲みに行ってしまって中断したままだった、妹尾武さんの、比屋定篤子「いっしょに帰ろう」コーラスヴァージョンのコーラス入れの残りを。コーラスのラインを一本ずつ重ねていくのだが、当初危うげに聞こえるフレーズが、全部重ねて聞くと、急に素晴らしい形で立ち上がって来るのを目の当たりにするのは、なかなかに感動的。この種の作業を妹尾さんにしていただくのは3回目なのだが、今回が一番凝っていて、従って妹尾さんにとっても一番大変であった模様。良い結果が出て、大変満足。
 
 で、最後にアーティスト写真の撮影を。これも、実に「ご縁」のおはなしなのだが、大昔に城戸夕果さんのアルバムに参加した時に、写真家M HASUIさんに撮っていただいたアー写が、僕の「写真史」上最も評判の高い写真で、それが忘れられず、ショーロクラブがソニーにいて経費が潤沢だった頃に、再度HASUIさんにお願いし、その時の写真がまたショーロクラブ写真史上最も評価の高い写真となった、という経緯があった。本来HASUIさんは、僕のようなモノが被写体にならせてもらえる人ではないのだが、僕の「あの時HASUIさんに撮って貰った写真は、そのまま僕の遺影に使うつもり」という言葉が、まわりまわってHASUIさんの耳に届き、そんなに言うなら、と、カメラ片手に、再びかけつけてくださった。撮っていただいた写真は、やはり大変素晴らしい、50代になった僕の「代表的写真」となりそうなモノである。こっから先の遺影も、もうこれで決まりだっ。
 
1272556297.jpeg

1272556298.jpeg

1272556299.jpeg

line
4月26日(月)
 
 
私用?で来日中のジョアン・リラ師匠の誕生会。

 西荻窪の某店にて、何故か日本に来ているジョアンの誕生会。みんなの祝福を受けての挨拶で、「思えば、日本人の一番古い友人はここにいるササゴであります。彼は日本でショーロを広め、今ではショーロをやめちゃってロックやポップスばかりやっている・・・」だって。僕が「ショーロをやめた」?ことは、ブラジルでもバレているのであろうか。
 そういや、ジョアン・リラと一番初めに会ったのは87年、ブラジルでのことなので、もう23年も昔の話だ。そのあとすぐに、彼はエリゼッチ・カルドーゾのメンバーとして来日した。ホテルでジョアンに乞われて、痔のクスリなど買いに行ったりしたっけなぁ。
 その後、92年にリオでショーロクラブのレコーディングがあって、終了後2週間ぐらいリオにとどまり、ペドロ・アモリン、マウリシオ・カヒーリョ、イタマラ・コーラックス等の家を転々としつつ過ごしていたのだが、その頃、ジョアンは、マウリシオとデュオをやっていて、そこで初めて彼が北東部リズムのグルーヴをギターで変幻自在に表現するのを目の当たりにして、もの凄く影響を受けたのであった・・。などなど、古い友人と再会すると、いろいろ思い出すことも多い。
1272300837.jpeg

1272300838.jpeg

line
4月23日(金)
 
 
青山プラッサオンゼにて、吉田慶子さんライブ

 3月の北陸以来の吉田さんのライブ。今日は、岡部洋一、ヒットミーという、吉田さんにとっての「最も贅沢」なメンバー。去年の秋以来、このメンツでの三回目のライブだったが、相変わらず沢山のお客さんに来ていただき、ありがたい限りである。
 会場入りした時は、風邪をひいてしまいました、と、大きなマスクをして調子も余り良く無さそうな吉田さんだったが、本番ではキッチリ調子を整えてきていた。集中力と調整能力のスバラシサに感心。また、二部のアタマで、ブラジル人のボサノバシンガーの方の飛び入りがあったり(名前を聞くのを忘れた)、久しぶりにchieさんがひょっこり見に来たりと、地味に盛りだくさん?な一日であった。
 このメンツでは、次は秋にやる予定で、それとは別に、二人でのデュオライブも、夏にやることが決まった。
1272172597.jpeg

line
4月20日(火)
 
 
レコーディング5日目

 本日は、比屋定篤子関連のセッション。
まずは、コモブチキイチロウ(ベース)岡部洋一(パーカッション)に、林正樹君のオルガンを加えて、僕としては大層「ポップ」なナンバーを。なかなかリズムの難しい曲で、サウンドが決まるまでに時間を要したが、程なく思っていたカンジに到達。最後に岡部が「どこがポップじゃ」とツッコミを入れたくなるような奇妙キテレツなパーカッションをかぶせて、ポップなようなポップでないようなナンバーに仕上がる。

 次に「上海帰り」の妹尾武さん登場。比屋定さんとデュオで出したアルバム「LIVE +」に収録された「いっしょに帰ろう」を、妹尾さんアレンジ&パフォーマンスによるゴスペル風コーラスで聞かせよう、という趣向。ところが作業を半分ほど進めたことろで、更に結構時間を要することが判明。こういう場合、僕は辣腕プロデューサーであるので、判断が早い。「今日はもう疲れたからやめて飲みに行きましょう」と提案して、さっさと終了。比屋定さん、妹尾さん、エンジニアM師匠と飲み屋へ直行。
1271861174.jpeg

1271861175.jpeg

1271861176.jpeg もーやめよーや、と言ってるところ

line
4月19日(月)
 
 
 朝の便で帰国。一度家に帰って、今度は渋谷にて比屋定篤子さんと、明日のレコーディングの曲の確認。ギリギリだったが、きっちりイメージどおりのものを仕上げてきてくれた。流石は長年の共作者、である。
 その後、別の相手と、別件ミーティング。これは、思いもよらぬ歌手との、思いもよらぬ曲でのデュオのレコーディングのお話なのであった。実に思いもよらぬ話で、我ながら、ちょっとビックリ。録った時に、ご報告します。
1271697953.jpeg 上海でみかけたアヤシイ日本

1271697954.jpeg その2

1271697955.jpeg その3

1271697956.jpeg その4

line
4月18日(日)
 
 
上海3日目、ゴンザレス鈴木、走る!

 大分疲れてきたのだが、今日は朝から馬暁暉さんの練習スタジオで、ゲストとして入るaminを加えての、二度目のリハ。タクシーを降りて道を渡ろうとしたら、身辺にかすかな違和感が。あーーーー、ギターが無いーーーーっ。ギターは降りたタクシーのトランクの中。既にタクシーはむこうの方に走り去りつつある。呆然と過ぎ去っていくタクシーを見つめていたら、ゴンザレス鈴木さん、猛然とダッシュ!とうとう追いつき、ギターを取り戻してくれた、いやぁ、助かった。ゴンさん、すいませんでしたなあ。上海の街角でヨーヨーマの真似してどうすんだよ、と、自分にツッコミをいれた瞬間であった。

 馬さんとのリハは、今日はテレビカメラも入っていなくて、穏やか?に推移。終わってお茶をいただきながら、星占いの話で盛り上がる。「セノーサン、あなたは天才です、本当に素晴らしいセンスに溢れていますっ」と妹尾さんが褒められた後、「ササゴサン・・・、アナタは、イイ人ね。」だけ、というのは、ちょっとどうなのか。
 
 その後、aminさんの案内で、aminおすすめの点心屋(小籠包が絶品)に。小籠包、餃子(焼き餃子様のものながら、こちらでは別の呼び方をするのだそうな。)、麺(こちらの麺は、、ダシはあっさりしていてあまり凝らない。)チャーハンまで頼んで、5人で1000円ぐらい。更に、骨董品を扱う通りに行ったり、布関係を扱う大きなビル(沖縄の公設市場を倍にしたくらいの規模)に行ったり。ここでは、オーダーメイドで、来月の万博本番で着る衣装を作った。それも9000円ぐらい。仕立てのきっちりしたもので、日本だったらその数倍はするだろう。龍の置物ばかり買って、服を作るのは要らない、と言ってた妹尾さんも、思わず一着注文していた。その後、ここでは書けないような怪しい買い物をして、幾分人相を悪くしたところで、夜の予定、小熒星少年少女合唱団とのリハをしに、合唱団の練習スタジオへ。
1271695040.jpeg

1271695041.jpeg

1271695042.jpeg 怪しい取引を、ちょっと。

1271695043.jpeg

1271695044.jpeg

 今回一緒にやる子供達は20人ぐらいだが、実は全員300名ぐらいの中の、ピックアップメンバーだそうで、テレビなどでもしょっちゅう活動している精鋭部隊なのだとか。飲み込みも早く簡単にリハは終わったが、ひとたび練習を離れたら、そこはまだ小学生ぐらいの普通の女子達。サイン超を取り出して、「外タレ」の僕たちにもサインをせがみに来たり、練習場の中を走り回ったり。レパートリーの中には、日本の小学唱歌系のものもあるのだが、子供の合唱で聞くこういう曲は、やはり僕らの世代は郷愁をかきたてられる。明治大正の先人たちは、西洋音楽と日本人の気持ちの有り様との融合に、本当にこころを砕いていたのだ、と感じる。そうやって作られたものは、新しい普遍性を獲得する、今のJ-POPよりも、この頃の唱歌の方が、深いところでの「融合」があると感じる。最近は、小学唱歌はどんどん教科書から削除されていっているそうだが、おろかなことである。

 リハが終わって、「最後の晩餐」へ。東京なら麻布あたりにありそうな、若いカネモチが集まるオシャレな上海料理屋さん「吉士酒楼」へ。上海料理は、比較的あっさりしていて微妙な部分もあり、中華の中では和食と通じる部分が最も多い、ちょっと独特のものであることが、いよいよ判明、殆どの日本人は、まだちゃんとした上海料理を食べていなかったのかもしれない。というワケで、内容が詰まりまくって消化不良を起こしそうな3日間の上海滞在を、無事打ち上げ。
line
4月17日(土)
 
 

 朝、タクシーに乗って朝食を食べに、とある街角にある「葱油餅」屋さんに行く。中国では、マクドナルドのようなものは、日本と同様な値段で売っているが、街角で売る点心系のちょっとしたものは、今でも15円とか30円ぐらいの値段で買うことが出来る。そして、断然その方が美味しい。ちょっと路地に入ったそのお店は、行ったら、既に現地の人達でひとだかりが出来ていた。いかにも職人然としたオジサンが、黙々と作業をしているのを、全員固唾を飲んで見守っている。結構手の込んだ手順のある作業で、時間もかかる。イヤが上でも期待も膨らむ。20分程も待たされて、「日本の人達だから」と、先に来て待っていた人に順番をゆずってもらって手に入れた葱油餅30円は、今まで食べたことが無い程、美味でした。
1271555731.jpeg

1271555732.jpeg

1271555733.jpeg

1271555734.jpeg

1271555735.jpeg

 午後は、まずaminの記者会見。今回の目的のひとつは、aminさんの、今の活動を中国でちゃんとアピールするためのプロモーションである。上海で最もオシャレで高級なクラブ(主催者談)を借り切っての、力の入ったイヴェントである。沢山の記者やテレビ関係者が来ていて、なかなかな盛会となった。途中数曲のデモ演奏があり、我々もカメラの砲列に曝される。普段限りなく「裏方」に近い身としては、珍しい経験。

 そして、夜は、同じ場所で、メディア関係者を対象とした、プロモーション・ライブ。途中、マイクを向けられ「みなさんこんにちわ、ワタシはササゴシゲハルです。」と、大学で第二外国語として無理矢理勉強させられて以来、初めて使う中国語で挨拶したら、発音がイイ、と褒められた。週4コマ、2年間の労苦の甲斐があったというものである。
 打ち上げは、今回のプロモーションを企画した会社のご招待で、「恐らく今上海で一番高級」なレストランへ。古い洋館をそのままレストランにしたような凝った造りの所で、中華料理は出なかったが、料理もワインもデザートも、麻布あたりの、僕らが足を踏み入れたらつまみ出されそうな所と、同じレヴェルだった。
line
4月16日(金)
 
 
上海、一日目

 初めて羽田の国際線を利用した。どこにあるか、知ってますか?第二ターミナルの到着階から外に出てバスに乗って、大変辺鄙なところで降ろされて、そこが国際線ターミナルだ。ここだけ何だか「羽田じゃない」ようなカンジで、早くも中国に来た気分。こころなしか、空港スタッフの顔も、中国人に見えてくる。(そんなはずはないのだけど。)

 夕方5時前に上海到着。上海賓館というホテルにチェックイン。すぐにamin、ゴンザレス鈴木さんと合流。早速レストランへ。いきなり「目くるめく中華の世界」へ。
 通訳をしていただいている路さんによれば、中国人は、三食ずーっと中華料理を食べ続けて飽きないそうだ。日本のように、今日はイタリア風、明日は和風、みたいなのは、ない。いくら中華料理が美味しくても、朝から晩まで毎日中華、というのはどうか、と思うのだが。これから数日、「未知との出会い」の日々となる。
1271493567.jpeg

1271493568.jpeg

1271493569.jpeg 鳩ちゃん、ゴメン。

1271493570.jpeg

1271493571.jpeg

 そしてそのあと、もうひとつの「未知との出会い」、馬暁暉さんとのリハ。これは、来月の万博のイベントのためのリハで、馬さん、妹尾武さん、笹子の3人によるコンサートが行われることになっている。馬さんは、二胡の第一人者、テレビにもしょっちゅう出て来る人気者、とのことで、海外遠征の経験も豊富。もちろん日本でも、何度か演奏している。
 で、馬さんのリハスタ代わりに使っているという市内の古い高層マンション31階の馬さんの部屋に入ったとたん、いきなり煌々と照らされたライトとテレビカメラの出迎えを受けた。馬さんのドキュメンタリー番組を撮っている、とのことで、ここは「海外のアーティストとの交流」のシーンになるらしい。いいのかなぁ、オレらで。

 カメラを若干気にしつつ、リハ開始。中国の伝統楽器の演奏家は、基本的には「クラシックのミュージシャン」と考えるべきであり、ある意味、音楽上のコミュニケーションの面で心配していた部分もあったのだが、リハを進めるにつれ、なんだか懐かしい気分に。コミュニケーションの取り方が、ブラジル人ととても良く似ているのだ。馬さんのちょっとシルクロード人の面影のある面差しを眺めつつ、これは、ユーラシアに起源を発するひとつの共通したメンタリティがあるのかも、と、壮大な妄想を膨らます。
 リハでは、笹子作の「くじらの午睡」が、演奏終了と同時に、テレビクルーも含めたスタッフ全員の拍手が沸き起こるほどに好評で、馬さんに、新たに楽曲提供の依頼を受けてしまった。いいのかなぁ、オレで。
 
 というワケで、「ファーストコンタクト」は上々の結果になったようだ。リハ終了後、深夜にだめ押しでトマトと玉子の炒め物を肴に、一日をしめる。
line
4月14日(水)
 
 
レコーディング4日目

 今日は、前半は、今まで録ったものを引っ張り出してきての、微調整作業。
 録った時はいいと思っているのだが、後で聞くと、ううむ、ここはもう少し××だったら良かったのに、と思うような部分が、しばしば出て来る。そんな時に、昔は諦めるか録り直すしか無かったのだが、最近は科学様のお力を借りて、あーらフシギ、キレイに直せてしまうのである。こういうことを書くと、そういう業界内ヒミツは余り公表しない方が・・、と忠告してくれる人がいるが、生産者は正直であれねばならない、とも思うワケである。せちがらい話ではあるが、作業効率的にも、予算ハードな昨今、大変助かる。ということを書くと、また誰かに怒られそうだが。

 後半は、Yaeさんに来ていただいて、ギターとのデュオで1曲。この曲は、自分で言うのもなんだが、「世界のスタンダード」かしら、と思うような、リッパな構えを持った曲で、それにまたYaeちゃんが、素晴らしく壮大な内容の歌詞をつけてくれて、これ以上無い内容の曲に仕上がった。レコーディングも、凄いハイレベル。地味なレコーディングだったが、充実度満点でした。
1271263785.jpeg

line
4月11日(日)
 
 
勝沼マルフジワイナリーにて、EPOライブ

12年前に、マルフジさんでライブをした時にいただいたワインを持って帰って家で飲んでいたら、比屋定さんがリハをしに来て、結局そのまま一緒に飲み始めて、リハにならなかった、ということがあった。ともかく、国産でこんなに美味しいワインがあったのか、と、強い印象を持ったのであった。

 今回も、ライブは白熱、本番前からワインをいただき、ステージ上にもワイン、終了後ももちろんワインで打ち上げ、と、言うことナシな一日だったのだが、今回は、打ち上げに「特別ゲスト」が。

 前回の時もお客さんとしてみえていた尾崎紀世彦さんが、今回も登場。前回は、特にお話をさせていただいた記憶は無かったのだが、今回は、打ち上げで極上なハワイアンを聞かせていただき、ハワイの曲についての深いお話を聞かせていただき、最後はEPOさんと3人で何曲かセッションまで。「ジョージア・オン・マイ・マインド」なんか、最高でしたぜ。

 尾崎さんは、実にシブいイイカンジのトシの取り方をされているようにお見受けした。今現在のご自分の音楽を大切に慈しんでおられるようであった。僕も、いくぶんかでも、そういうふうにトシを取って行ければ、と思うのだが。
1271224028.jpeg

1271224029.jpeg

line
4月10日(土)
 
 
兵庫県加古川市→山梨県石和温泉

 この前(と言っても、何年前か失念)加古川でやった時も、EPOさんの仕事だったと思う。その時も、たしか、終了後に、加古川→山形という大移動があったように記憶しているが、今日の移動も、なかなか。加古川でのイベント終了後、姫路駅から新幹線で新横浜へ。新横浜から八王子まで横浜線で。八王子から石和温泉までは中央線特急で。

 さすがにくたびれたのであったが、EPOチームのルールとして、「着いたら飲み屋」ははずせないのである。稚鮎の天ぷら、美味し。
1271223954.jpeg

1271223955.jpeg

1271223956.jpeg

line
4月6日(火)
 
 
レコーディング、3日目

 今日やったのは、僕にとっての今回最難関のレパートリーだ。何をしようとしたか、と言うと、「バーデン・パウエル」である。あちこちで書いたり言ったりしていることだが、僕は高校〜大学時代にバーデンの影響を強く受け、その結果ブラジル音楽を知り、サンバやショーロを始めるようになった。バーデンの存在抜きに、今の自分の姿はあり得ない。というワケで、いっぺん「バーデンに『なりきり』」をしてみたかったのだ。
 練習は難渋を極めたが、結果には、大変満足している。ホンモノの「バーデンのパーカッショニスト」でもあった岡部洋一も、「バーデンよりリズムが正確です」と言っていた。まあ、恐らく殆どの日本人ミュージシャンが、「リズムが正確」という意味ではバーデンよりちゃんとしていると思うが。ともかくそういうことで、スティーヴ・サックスさんのフルート、コモブチ君のベースとで、「バーデン・パウエル・カルテット」を、盛大にやらせていただいた。アルバム発売の節には、皆さんは究極の「なんちゃってバーデン」を聞くこととなる。

 スティーヴさんにお約束の「コーラス入れ」をやっていただいた後に、EPOさん登場。今回のアルバムでは、最も長くおつきあいいただいているEPOさんに、3曲参加していただいている。1曲は、歌詞のついた曲だが、残り2曲はスキャットでの参加だ。スキャットでの参加、というのは、歌手にも「楽器演奏者」的なメンタリティを要求するものであって、常々EPOさんの器楽的センスの素晴らしさを間近で見てきたので、EPOさんのそういう部分の生きる楽曲を作ってみた。他には岡部ーコモブチのみ。4人で汗水垂らして、「インスト音楽」をやりました。
1270659186.jpeg 演奏中の撮影は固くお断りいたします、と言われたけど。

1270659187.jpeg

line
4月5日(月)
 
 
レコーディング二日目

 1日に始まったレコーディングの二日目。本日は、まず、ソロから。
 今回、自分名義のアルバムを作るにあたって、「やっぱりソロは入れないとアカンでしょ」というハナシは早くから出ていたのだが、既に何度も告白しているとおり、「ワタシはソロが出来ません」。もろもろ、理由はあるのだが、要するに、「性格がソロ向きでない→レパートリーを持つための努力をする気がない→技術が向上しない」という連鎖の上の「結果」である。
 しかしながら、さすがに自分名義のアルバムで、歌伴ばかりでは気が引けるので、特別に(と押しつけがましく言う)今回は、何曲かのギターソロ作品を入れる予定である。今のところ2曲作ったのだが、作ったはイイが、練習してもなかなか上手く弾けない。う〜ん、ツライ。という状況においての、今日はそのうちの1曲の録りである。
 まあ、がんばりましたよ。演奏についてはいろいろご意見もありましょうが、現状ではいっぱいいっぱいであろう。あとは、来世でがんばります。

 続いて畠山美由紀さんとヴァイオリン江藤有希登場。畠山さんに書いていていただいた歌詞は、「いろいろたいへんだろうけど、ウチでオイシイご飯作って待ってるからね」という、「癒し系」な歌。当初はブースに別れて録る予定だったのだが、メインフロアでリハをやってみたら、あまりにも気持ち良かったので、結局、一部屋で顔つきあわせて録ることに。ということは、「なおし不可」ということで、わざわざそのようなハードな状況を選んでしまうほど、「生」が気持ち良かったのである。で、実際2テイク録って、1テイク目で決まってしまった。その後は、例によって、先日録った、大コーラスが入る予定の、EPOさんと作った「自転車」の、コーラスかぶせを、お二人に。そっちの方が時間がかかったりして。

 最後に、同じ「自転車」の、ブラスかぶせを、トロンボーン村田陽一アレンジで、トランペット西村浩二さんと、クラリネット黒川紗恵子の3人で。村田君のドンピシャのアレンジとディレクションで、あっと言う間に作業終了。そのあと、またもやコーラス入れを、3人に。どうもこっちの方が、みんな苦戦する傾向あり。みんなで歌えるような曲を作ったつもりだったんだがなあ。
1270516270.jpeg

1270516271.jpeg

1270516272.jpeg

1270516273.jpeg

line
4月1日(木)
 
 
レコーディング初日

 自分名義のアルバムのレコーディングが始まった。マスタリング作業が終わる5月11日までの間、断続的にスタジオ作業を続けることになる。 本日の作業は、EPOさんに来ていただいて、EPOさん作詞の笹子曲「自転車」のベーストラック録りと、かつて「フィントン」というユニットのアルバムに入れた「Carta ao Edu」という笹子作品を、EPO&Saigenjiという豪華メンバーで。

 その前に、スタジオに早めに行って、Yaeさんと、詞をお願いしていた曲の合わせを。この曲がまた素晴らしく・・・。こうやって、続々出来上がってくるものを確認していく作業は、実に楽しい。至福の思いがする。家に帰ってきたら、佐原一哉さんー古謝美佐子さんにお願いしていたウチナーグチの歌詞も到着していた。この曲は桑江知子さんに歌っていただくつもりだ。

 スタジオ作業の方は、まず「自転車」から。チューバの,関島岳郎さんとパーカッションの岡部洋一とEPOさんとで、ベーストラックを作る。「トシを取ってボケてしまって全て忘れてしまっても、また新たにアナタと恋をするよ」という、特にその前半部分、あまりにも僕にピッタリな内容の歌詞がついていて、最後にコーラスパートがあるのだが、今回のレコーディングでは、レコーディング参加者全てにこのコーラスをやってもらおうと目論んでいる。

 次はSaigenjiとコモブチキイチロウ君に来てもらって、EPOさん、岡部洋一と一緒に「Carta ao Edu」を。この曲については前から腹案があって、機会があればそれを試したい、と、考えていた。EPOさんのボイスとSaigenjiのフルートとボイス、岡部とコモブチ君のスパーテクニックが織り混ざって、結構モノ凄いモノが出来上がった。乞うご期待、かな。
1271300071.jpeg

1271300072.jpeg

1271300073.jpeg 意外と苦戦

line