10月31日(日)
鹿児島市、菖蒲学園園庭にて、EPOライブ
菖蒲学園は、鹿児島近郊にある障害者のための福祉施設である。という情報だけしか持っていなかったので、僕は行ってビックリしてしまった。僕が理解した形で菖蒲学園を説明しなおすと、障害者の創造性を引き出し、スタッフの創意と協力のもと、それら障害者の創造した作品を普遍的な芸術作品として提示する作業を行っている凄い所、とでも言うか・・・。
例えば、僕も、ものを造ることをナリワイとしているのであるが、何かを作るに当たって、実に多くの余分な情報をインプットしつつ、過ごしている。それは、締め切りであったり、その作業によって得られる金銭の多寡についての妄念?であったり、作業パートナーに対する気兼ねだったり、その制作の結果がもたらしてくれる様々な社会的「効果」への期待であったり、あるいは創作とは全く関係無いインターネット経由の雑情報であったり、対人関係の煩悩であったり。それらは、純粋に自分と向き合うべき制作創造作業にとっては「よけいなこと」に他ならない。
ここで作業をされている障害者の人達の多くは、上記のような様々な「インプット」の回路が、健常者に比べ、限られている。なので、創作に際する気持ちはより純粋であり、時には、自分が「創作している」という意識すら無かったりする。でも、創作作業そのものには、もの凄く執着するのだそうだ。(そして、しばしば、創作が終了したと本人が認識した時点で、その作品に対する興味も執着も無くなるのだとか。)
今回、新たに学んだこと。どうやら、人間というのは、制約さえなければ、「創造すること」にココロを傾けるのが常態であるところの、随分変わった動物らしい、ということ。そして、実際のそれらの作品の、何物かを喚起する力の強さ。更に、社会と創造した作品とを結ぶ経路の乏しいそれらの人々に代わって、障害者の方々人一人の個性に興味を持って向き合い、それらの作品の見せ方に一工夫を加えて、誰もが驚き納得出来る形にして社会に提示するという凄いことを、ここの職員の皆さんがされている(らしい)こと。ここは、障害者の授産施設、というような発想からはぶっ飛んだ、「コラボレーション」の現場だった。う〜む、久々にお勉強させていただいた。モノ作り稼業人として、勇気づけられました。仕事キライ、などと言っておってはいかん、ということですな。
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龍馬にあやかればいいちゅうもんじゃないぜよ。 |
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