2010年10月の日記:[以前の日記]
 
 
10月31日(日)
 
 
鹿児島市、菖蒲学園園庭にて、EPOライブ

 菖蒲学園は、鹿児島近郊にある障害者のための福祉施設である。という情報だけしか持っていなかったので、僕は行ってビックリしてしまった。僕が理解した形で菖蒲学園を説明しなおすと、障害者の創造性を引き出し、スタッフの創意と協力のもと、それら障害者の創造した作品を普遍的な芸術作品として提示する作業を行っている凄い所、とでも言うか・・・。

  例えば、僕も、ものを造ることをナリワイとしているのであるが、何かを作るに当たって、実に多くの余分な情報をインプットしつつ、過ごしている。それは、締め切りであったり、その作業によって得られる金銭の多寡についての妄念?であったり、作業パートナーに対する気兼ねだったり、その制作の結果がもたらしてくれる様々な社会的「効果」への期待であったり、あるいは創作とは全く関係無いインターネット経由の雑情報であったり、対人関係の煩悩であったり。それらは、純粋に自分と向き合うべき制作創造作業にとっては「よけいなこと」に他ならない。

 ここで作業をされている障害者の人達の多くは、上記のような様々な「インプット」の回路が、健常者に比べ、限られている。なので、創作に際する気持ちはより純粋であり、時には、自分が「創作している」という意識すら無かったりする。でも、創作作業そのものには、もの凄く執着するのだそうだ。(そして、しばしば、創作が終了したと本人が認識した時点で、その作品に対する興味も執着も無くなるのだとか。)

 今回、新たに学んだこと。どうやら、人間というのは、制約さえなければ、「創造すること」にココロを傾けるのが常態であるところの、随分変わった動物らしい、ということ。そして、実際のそれらの作品の、何物かを喚起する力の強さ。更に、社会と創造した作品とを結ぶ経路の乏しいそれらの人々に代わって、障害者の方々人一人の個性に興味を持って向き合い、それらの作品の見せ方に一工夫を加えて、誰もが驚き納得出来る形にして社会に提示するという凄いことを、ここの職員の皆さんがされている(らしい)こと。ここは、障害者の授産施設、というような発想からはぶっ飛んだ、「コラボレーション」の現場だった。う〜む、久々にお勉強させていただいた。モノ作り稼業人として、勇気づけられました。仕事キライ、などと言っておってはいかん、ということですな。
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1288593929.jpeg 龍馬にあやかればいいちゅうもんじゃないぜよ。

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10月30日(土)
 
 
宮崎県都城市MUZAにて、EPOライブ

 都城には、EPOさんの「最古」のファンクラブがあって、既に過去10年ほどの間に、断続的に計7回のライブを主催していただいている。スタッフの殆どは、僕らと同世代、普通の主婦だったりするワケだが、いつも、ヘタなイベンター真っ青なハイレベルなコンサートを実現している。常に、EPOさんにとって(僕にとっても)一番安心できる環境を整えていただいているカンジで、毎年秋の都城ライブは楽しみだったのだが、今年は口蹄疫の問題があって、一度中止を決定せざるを得ない状況となっていた。

 それが、夏に東京でファンクラブのスタッフと一緒に飲んでいて、「ムリのないやりかた」でもう一回考えてみよう、ということになって、今夜のライブが実現した。そういう流れだったので、会場はいつものホールより二回りほど狭いライブハウスだったのだが、その分、お客さんとの距離も近く、何よりも慣れた土地での慣れた主催者とお客さんに守られたライブとあって、我々のリラックス度全開。個人的に、今までの宮崎ライブのベストパフォーマンスだったのではないかな、と、チラリと思った程。

 ライブ中、EPOさんは「口蹄疫」のことを「狂牛病」と間違えて言っていた。あいかわらずそそっかしいねぇ、と、ココロの中で笑いながら聞いていたのだが、僕は僕で、終演後のCDサインの、1枚目の方に「10月29日」と、自信を持って書いてお渡ししてしまった。すいませんでした。人のことを笑ってる資格、ナシ。
1288594187.jpeg 晴れた。

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1288594189.jpeg この方々です。
目線を入れろ、と要求されましたけれど、写真、小さいので、お目こぼしを。

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10月29日(金)
 
 
プラッサオンゼにて、吉田慶子デュオ

 夏以来の吉田さんとのデュオ。リハの時に、何曲か、今までより半音低いキーの方が歌いやすい曲があることが判明。喉の調子が悪いの?と聞いたら、いやいや、原因は「加齢」でしょう、と。

 歌手のキーについては、だいたいの場合、トシとそもに下がっていくのは「お約束」であって、例えば、かつてあるブラジル音楽のガイド本にジョアン・ジルベルトに関する文章を書いたときに、彼の、同じ曲を歌うに当たっての時間経過に沿ったキーの変遷をしらべたことがあったが、殆どの曲において、ほぼ「順調」に下がっていっていた。晩年のエリゼッチ・カルドーゾなども、若い頃に比べて随分声が低くなっていた印象がある。

 ハイトーンで張る声は、分かり易く聞き映えのするものではあるが、本当に歌手が 「人生」に直結するような深い唄を歌えるようになるのは40歳を過ぎてから。そういう意味で、歌手にとってキーの下がってきた4〜50台は「黄金時代」であると言えると思う。吉田さんも、ついに「黄金時代」にさしかかったのかも。
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10月24日(日)
 
 
恵比寿ガーデンルームにて、「eatrip music marche ささごはんvol.1」

 比屋定さんとYaeさんに参加してもらっての、イベント。自分の名前がのっかったイベントというのは初めてで、ずっと「影の人」を通している身としては、いきなり世間の荒波に放っぽり出された感なきにしもあらず。

 それはともかく、当然のことながら、比屋定さんとYaeさんには、ボーカリストとして存分に魅力を発揮していただきたく、そして僕自身も「ささごはん」という名前を裏切らない程度には目立たないといけないワケであって、どういう構成にすればいいのか、まず「プロデューサー」として、随分悩んだのであった。

 そして、主催者側からは、「ギターソロ、やってくれるんですよね・・。」というプレッシャーが。これはやはり、自分名義アルバムを出す→ソロを入れざるを得ない→リリースに関連したイベントにおいてソロをやらざるを得ない、という、余りに当然の流れに沿った状況なのであって、もうあきらめてやるしかなかったのである。

 何せ28年ぶりに人前でソロ演奏をするのだから、大変でしたよ。1曲目が終わった時に「ベルリン・ジャズフェスティヴァル・ギターワークショップ・ライブ」のバーデン・パウエルのイパネマの娘の演奏後の拍手のような(長くてすいません)割れんばかりの鳴り止まぬ拍手を受け、大変有り難く、面映ゆくもあったのだが、これからも時々「ソロやれ」プレッシャーを受けることになるのかと思うと、既に気が重かったりもする。

 比屋定さんとのデュオは、東京での久々の「比屋定ファン以外」の人達も沢山集まる場所でのライブだったが、持ち味を100%発揮出来たと思う。初めての人にも、比屋定さんの魅力はちゃんと伝わったのではないか。ライブの流れ全体の中でも、比屋定さんに頼る部分が大きかったのだが、随分助けて貰った気分。このライブシリーズ、一応続く予定なのだが、シリーズの「基礎型」が出来たように思う。

 そしてYaeさん。実に久しぶりのデュオだったのだが、本人も語っていたとおり、一回り半ほど「太く」(腕とか腹とかでなく、存在感が)なった印象。月並みな言い方になってしまうけど、「大地に足をつけた」という表現が本当にピッタリと嵌る歌手になっていた。リハの時も感じたのだが、細かい部分の音によるコミュニケーションが、随分久しぶりにやったにも関わらず、とても濃密だったと思う。また一緒にやらせてもらいたい。

 そして、来ていただいた皆様、ありがとうございました。また春頃にやることになりそうです。その節は、またよろしく。
 
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10月22日(金)
 
 
六本木STBにて、EPO with Choro Club + 渡辺亮

一緒に音を出し始めて18年(たぶん)というのは、やっぱり、ひとつの「財産」であろう。聞いていただいている方々の感じ方以前に、やる側として、それを強く感じる一日だった。楽屋でも、約一名中心に、騒々しいガキの「遠足」のような状況。ステージ袖で出待ちをしている間もずっと「がはは」と笑いながら、バカなことを言っていて、ステージに出たとたん、ばしっとまとまる。音楽パフォーマンスをする集団としての、ひとつの理想の「型」みたいなものに、この組合わせは嵌りつつあるような気もするのだが、それは気のせい?
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10月20日(水)
 
 
六本木STBにて、amin「上海ラウンジ」ライブ。

 5月に上海で別れて以降、aminさんはギターでの弾き語り中心に中国で活動されていた、とのことで、今日は、amin弾き語り+万博出演時類似のバンドサウンド+笹子のギターを交えた小規模アコースティックサウンドという、三つの要素が混在することとなった。てことは、僕の出番が減る、ということである。ラクなことはいいことだ。
 バンドは、上海で一緒だったギターの関淳二郎さん、パーカッションの石川智君の他、10年ぶりぐらいのバカボン鈴木さん(b)、初顔合わせの安部潤(P)さん、という「おおぶね系」メンツ。僕が入っていない間も、コンサートは進む。スバラシ。

 ここのところサントラ関係の詰めの作業が続いていたのだが、一転、今日からはライブ週間。明後日は同じSTBにてEPO with Choro Club +渡辺亮、一日おいて24日は、恵比寿the garden room にて、「問題」の「eatrip music marche ささごはんvol.1 」。残席多数、請光臨。どうかつつがなく終わりますように。なんまんだぶ。

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10月14日(木)
 
 


大阪、フェニックスホールにてCHORO CLUB with 柏木広樹コンサート

 フェニックスホールは、ショーロクラブ全盛??時代であった10年近く前、マルコス・スザーノをゲストに一度やらせていただいたことがあり、今回は2度目。前回はスザーノのパンデイロという「異質」な音質を持つ楽器とのコラボだったのだが、今回は柏木君のチェロという、「同質」な楽器とのコラボだったせいもあり、前回とは随分イメージの違う繊細な表現をすることが出来た。あとでスタッフに聞いたところでは、会場内の音響も「極上」であったそうで、音響スタッフにも感謝、である。

 もともと沢田穣治が関西で活動していたこともあり、ショーロクラブのデビューライブも、実は関西(=K川紗恵子の故郷?の明石。ちなみに、言いたかないが、バンド史上 "最悪" のデビューざんした。)。その後も、ミノヤホール、レッドライオン、chove chuvaなどの大阪のスペースを常に根城のひとつにしてきたショーロクラブだが、このような改まったホールでキッチリしたコンサートを見ていただくのは、我々にとっても新鮮で、演奏内容も含め、とても充実した一夜であった。多謝。
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10月12日(火)
 
 

10/22EPO with CHORO CLUB+渡辺亮(六本木STB)のリハ

 長い。このメンバーで初めて音を出したのは、多分1993年ではなかったか。EPOさんの国内ツアーで一緒にまわり、95年には中南米を1ヶ月合同でツアーし、また、沖縄のストリートフェスにも数年連続で出演した。
 その後、一時全員が揃うライブは休止していたが、ここ数年は、思い出したように、時々、集まっている。もう全てお互いにわかってるので、何が起こっても、「形」に出来るだけの信頼関係がある。「ユニット」と同様である、と言える。
 本日のリハにおいても、今までこのメンバーではやっていなかったEPOさんの昔のナンバーから最近のナンバーまで、このメンバーでしか出せない音に再構築することが出来た。

 リハ中、EPOさんは時々、「あ、降りてきた!」と言って、リハを止める。しばしば彼女は、リハ中に、新しい、そしてすごく斬新なフレーズのイメージがココロの中によぎることがあり、そういう時は、リハを止めて、それを彼女が音列に具体化出来るまで、しばし待つことになる。
 そういう時は、ショーロクラブと亮君4人で、「でんな〜でんな〜でまへんな〜」というフレーズを低音で唱和して、EPOさんの邪魔をするのだが、それにも負けず、EPOさんは素晴らしいフレーズを出してくるのである。今回も、そういうフレーズが一瞬挟まる場面もある。なんともアーティスティックなハナシではないか。え、違う?
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10月9日(土)
 
 
またまた忘備録風に・・。

 いや〜なカンジの、忙しいような忙しくないような日々が続いている。やらなければいけないことは山積なのに、一日悶々としつつ、結局ゴロゴロしてるだけで終わるような毎日。あああ、仕事キライやっ。・・・・、というような愚痴を、サイトのダイアリーに書くのもどうかと思うが・・・。と言うワケで、今日も2点ほど。

10/7、コーコーヤ、サントラ候補曲レコーディング。
 結局3人で26曲も作ってしまった。 中にはホンチャンの作品集に入れてもいいような曲も結構あるような気が。
 行程としては、今月半ばにアニメの音楽監督からのリクエストを聞くミーティング。作った曲に対して、アレンジや編成、楽器などについてのリクエストを受け、あるいは足りないタイプの曲の追加要請が出ようもんなら、更に作曲しないといけないのである。
 そのミーティングの後は、リクエストに合わせた制作を行い、必要なだけのリハを行いつつ監督側と若干のやりとり調整をしたら、来月上旬には、もうスタジオ入り。半ばには完パケ予定。

10/9 NUU宅へ、赤子の顔を拝みに。
 先日めっちゃかわいい赤子の写真を送ってくれたので、今日は顔を見に行ってきた。まだ2ヶ月なのに、表情豊かな、NUUに似た赤子でした。それでもってNUUさん、もう「母親」になりきり状態。こりゃしばらく「復帰」、ねーかもなー、と、ちょっと思ってしまったのであった。
 

 と書いていて、是非お知らせしておかねばならにことを書いてないことに、気づく。10月14日のショーロクラブ・大阪フェニックスホールと10月24日の「ささごはんvol.1」。
 大阪で、きっちりした形のホールコンサートを打つのは10年前のソニー時代以来で、ショーロクラブのような弱小グループには、滅多に無い機会である。この機会は是非、お見逃しなきように。「いつまでもあると思うな親とショーロクラブ」だっ。
 「ささごはん」の方は、随分久しぶりにYaeさんとやるのが、個人的には楽しみなのだが、考えてみたら、この規模で僕の個人名でイベントを打つ、ということは、「初体験」である。一応第二弾三弾、と続ける予定はあるが、余りにも不人気だと、一回で終わるかもしれん。そうすると、「初体験」が「最終体験」になってしまい、そういうことには結構慣れてるとは言え、やはり何だか悲しいのである。なので、みなさん、来てください。
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10月5日(火)
 
 
コーコーヤ、アー写撮影

 来年1月に新譜を発表することがほぼ決まり、トラックダウン作業の仕上げやらプロフィールの改訂やらでバタバタしつつ、来年ON AIR予定のテレビアニメの音楽制作もちょうど佳境にあって、なんだか「売れっ子かしら?」状態のコーコーヤであるが、今日は、新譜につきものの「アーティスト写真撮影」。隅田川の畔にあるスタジオで、フォトグラファー大沼ショージさんにお願いしての慌ただしい撮影であったが、良いカンジに出来た模様。
 前回アー写の撮影をしたのは、もう3年ぐらい前になるか。その間、女子達は随分と成長あそばされ、僕は随分とモーロクしてしまったのだが、それもこれも時の経過の為せるワザなのだ・・・。
 
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1286300221.jpeg なカンジ。
(これはヘアメイクさんが大沼さんのウシロから撮ってくれたもの)

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10月1日(金)
 
 
時間切迫の仕事が続いて、ダイアリー更新してませんでした。ささっと、2点。

9/24 青山、プラッサオンゼにて、CHORO CLUB with 柏木広樹ライブ

 柏木君とやる、ということもあるので、しばらくやっていなかった曲を中心に・・。ということで、大変「ピンチ」の多い演奏だったが、何とか無事に終了。柏木君の入ったサウンドは、普段のショーロクラブには無い「騒々しさ」みたいなものが加わり、3人でやる時との違いが際だって、やっていて面白い。
 なお、同じセット、似たレパートリーで、今月14日の大阪フェニックスホールのコンサートを行う。まだいーっぱい座席はあると思いますので、よろしく。何度書いたか、この言葉。
http://sasa-g.com/schedule.html

9/29 手嶌葵さんの新譜レコーディング

 今回も3曲サウンドプロデュース。今回は特に「歌とギターのデュオ」、場合によってプラス楽器ひとつぐらい、という、いつも以上に明確な「シンプル路線」のリクエストであったので、3曲を、ギター1本、プラス秋岡欧先生のバンドリン、プラス鬼武みゆきさんのピアノ、という編成にそれぞれアレンジ。
 今回は、11/24発売のクリスマスソングのアルバムで、史上最も「弱音」なクリスマスソング集になる予感。
1285941239.jpeg 決してやる気が無いワケではない。

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