2014年8月の日記:[以前の日記]
 
 
8月31日(日)
 
 
得三16周年織音工房15周年ジョイント企画「ショーロクラブ 得三2Days Live」ゲスト:アン・サリー編

 得三さんは、名古屋のライブハウスとしては、「老舗」的風格があるが、実は最初に出演した時は、まだ出来て1年目だった、という「事実」には、ちょとビックリする。なぜならば、初出演時、既に10年選手の風格があったからだ。音楽のカミサマが、ステージ脇の暗がりにうずくまっているのを感じながら、いつも演奏させていただいている。

 そして、この得三への初出演こそが、同時に織音工房(という名前は当時は無かったんだけど)「旗揚げ」の時であり、それを考えれば、得三ー織音工房とは、もの凄いご縁なのである。

 今回、ショーロクラブで2daysというお話をいただいた時は、最近はタケミツソングス関連の活動以外は、ちょっと「お休み」状態でもあり、正直、ち幾分戸惑ってしまったのだが、しかし、「老け込まずにガンバレ」というエールをいただいたものと解釈し、お受けすることにしたのは、本当に正解であった。

 今日の共演者は、アン・サリーさん。ショーロクラブとの共演は、凄く久しぶりだが、何だかんだでこの方ともご縁が続いている。ライブの内容については、「楽しかった」の一言。どのくらい楽しかったかと言えば、終了後、アンさん、もっと歌いたいと言って、結局「3部」が始まり「矢切の渡し」などを熱唱。明日は診療日だから早く帰らねば、と言いつつ、結局新幹線終電近くまで飲まれていたというあたりで、ご想像いただければ。
 
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8月30日(土)
 
 
成城ホールにて、大島花子さんと「世田谷MUSICマルシェ」→世田谷ボランティアセンターにてコージーズイベント

しかしここ数週間、本当に忙しい。カラダは大分ナニになってきたのだが、脳内はアドアドアアドアドアドアドレナリンがどばどばどばどばどばどば。
(というような調子のメールを、先日ふざけて黒川紗恵子に送ったら、本当にアタマがイってしまったと思われた。これも人徳と言うべきか。)

というワケで、今日は、成城ホールでのイベント出演と三軒茶屋でのイベント出演のハシゴ、更に遅い便で名古屋に移動して、明日と明後日の得三関連の打ち合わせ、という、「売れっ子」スケジュール。

 世田谷MUSICマルシェは、「ジャンルの壁をこえて、世代をこえて、世田谷ゆかりのアーティストが集う」と謡う、まさにジャンルも世代も越えたイベント。出演は3曲だったので、待ち時間にみんなでケーキを食べに行ったりと、ゆったりとやらせていただいた。

  終了後、三軒茶屋に移動。世田谷ボランティアセンターでのコージーズ主催の夏の市場に出演。これは去年に続いて2度目。コージーズは高次脳機能障害をもった方々のグループで、これは、例えば僕やあなたが、明日交通事故に遭えば、人ごとではないよ。ということはともかく、こういう場所でも、花子さんは本当にいいパフォーマンスをされる。人徳です。

 それから遅い新幹線で名古屋へ。織音工房Sさんと、もろもろの話し合い。結局1時ぐらいになってしまった長い一日、終了。
1409894199.jpeg 確かにジャンルも世代も越えている・・。

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8月29日(金)
 
 
純名里沙さん、佐藤芳明君と、モーションブルー横浜

 1年ぶりで同じメンバーでのライブ。こういうケースは「定点観測」的なおもしろさもある。さて、「定点」から見て、1年でどこまで行けたか、ということですが・・。音楽的なことを越えて「長足の進歩」と言えるかも。

 今回は、仕込みの時点から純名さんが完全に主体となってお店側といろいろ相談し、集客についてもいろいろ協力をしながら、今日に至った。純名さんのような人がそこまでやらいでも、という意見もあるかもしれないが、それらの細々とした経緯を知ってステージに立つのと知らずに立つのとでは、随分お客さんに届ける「何か」の質が違ってくるのではないだろうか、と、僕は想像する。

 この1年、いろいろな所に純名さんを引っ張り回したような印象が無いでもないけれど、それらのひとつひとつのことが、今日の「体力」に繋がっているように思う。まだまだ一回一回のステージから我々が学ぶことは多いかもしれないが、あとは「行くだけ」だな。来年は「引っ張り回され」ることになるかも。満足でした。
1409894429.jpeg photographer 深堀瑞穂

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1409894431.jpeg 佐藤芳明は意外とイケメンなのら。

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8月28日(木)
 
 
純名里沙さんと写真撮影→妹尾武さんレコーディング

 10月31日に杉並の「葉月ホールハウス」でやるデュオライブと今後のデュオライブのためを兼ねた写真撮影を、葉月ホールハウスにて。純名さんは、言うまでもなく「写る」ことのトッププロであって、僕は、「写る」ことのド・シロートである。その二人が一緒に写る、というのは、プロのレコーディングにいきなりアマチュアが紛れ込むようなものではないか、と危惧するものであったのだが・・・。結果は見てのお楽しみ、かな・・。

 夕方からは、世田谷のスタジオに移動して、久しぶりに妹尾武さんのレコーディングのお手伝い。今日は、神戸のUHF局の初めての自社製作の震災関連ドラマのサントラ(映画化もされるのだとか)の録り。
映像を見ると、うちの実家の近所の懐かしい風景がバカバカ出てきて、神戸育ちの二人は「ええなあ、神戸はええなあ・・」と、しばし作業の手を休めつつ、感嘆するのであった。
 全8曲の録音はちとハードだったが、恙なく終了。まだ作業のある妹尾さんと別れを告げて「大戸屋」にて今日一日の一人慰労会。
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8月27日(水)
 
 
畠山美由紀&CHORO CLUBで、SUKIYAKITOKYO出演

 ここのところ、タケミツ関連のイベント以外ではご無沙汰気味のショーロクラブだが、久しぶりの「再起動」モード。もうご老体なので、取り敢えず散々やったレパートリーの中から、少しずつアタマと指を復活させながら、次に作るものについて、考えていきたい。今日はイベントの中なので、単独の演奏は2曲。一番沢山やった曲をそのまま2曲やったので、うまくいきましたが。

 畠山さんとのコンビネーションについては、2月の春日井市でのコンサートの時に、ある種の「到達」を実感したところであり、この組み合わせによる音楽は、是非多くの人達に聞いていただきたいと思っている。

 ところで今日は、畠山さんの昭和歌謡と演歌を中心とした新譜から、まとまった曲数をやる、最初のライブでもあった。演奏内容については大変満足であったのだが、演奏しながらふと思ったことがあった。

 僕らから上の世代って、演歌や昭和歌謡を凄く嫌っていた人達が意外と多かった。つまり「あんなダサイものはNG」で、「洋楽が最高!」というふうに思っている人達のことである。(実は僕も、家がそういう雰囲気だったし、何となくそう思いながら育ったのも事実です。)「あの人達」は、今の畠山さんのパフォーマンスをどのように感じるんだろうか。ブラジルの曲からいきなり演歌に行ってオーヴァーザレインボウで終わる、というライブを、僕はカッチョイイと思うのだが、「途中の演歌がなぁ」とか、思うんだろうか。気になる、というよりも、興味がある。
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8月25日(月)
 
 
青山、プラッサオンゼにて、chie umezawaとデュオ

 chieさん、忘れた頃に声がかかってくる、ということがここ数年続いている。今年も、約1年ぶりのデュオ。やっていることはなかなか難しいのだけど、いっぺんカラダに入った情報は、どこかのボタンを押すと、再構築される。脳のフシギ、である。
 
しかし、今年は、ちょとレパートリーの傾向が変わってきた。ショーロやファドなど、「地味めのシブめ」な曲が中心に。ご存知かとは思いますが、地味でシブいのが、僕は一番好きなので、今年のchieさんが、今までで一番楽しめたかも。

 お互いに手応え十分、ということで、このデュオ、やっと「積み上げ」作業にかかれる形になってきた。次回は、取り敢えず12月19日のプラッサオンゼ。次回は、どんなシブい曲を選んでくるかな・・。
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8月24日(日)
 
 
仙台、戦災復興記念館にて、畠山美由紀コンサート

 今回のチームは、沢田穣治ー真城めぐみー笹子のユニット。デュオだけでなく、ショーロクラブとのコラボあり、二人のルーツショーあり、と、今年の畠山さんはなんだか盛りだくさんである。2回目、ということもあり、全体にリラックスムードのあるパフォーマンス。日帰りというところがちょっと残念でしたが、利久の上等牛タン弁当を最後に新幹線車内であてがってもらい、なんだか満足して帰宅。
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8月22日(金)
 
 

chie umezawaさんとNHK BS3「発見!体感!川紀行」テーマ曲のレコーディング

作曲三柴恵さん、作詞影森潤さんによる番組のテーマ曲のレコーディング。chieさんといえば、殆ど日本語で歌わない(ちょっとだけ歌ってた)人なので、どうなるかな、と、少し心配していたのだが、いいノドのコントロール(さすが)で、雰囲気のある楽曲に仕上がった。放映は、もう少し先になるらしいっす。
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8月16日(土)
 
 
コーコーヤで、上野動物園「夜の動物園」イベントにて演奏。

 大昔に三重県の鳥羽水族館で、閉館後のエントランスホールでのコンサートにショーロクラブで出演したことがあった。その時は、誰もいない展示場でシロイルカに遊んでもらったり、いろいろオイシイ思いをしたのだったが、今日は生憎の雨模様。会場は、蓮の茂る不忍池をバックにした野外の休憩場(というか、ある意味野外ビアホールみたいな所)で、屋根はあるものの、ざんざんぶりでは演奏不可。この状況では、のんびり動物見物も出来ない。結局、夕方、控え室の近所の爬虫類展示場をチラ見しただけで、あとは部屋で待機。
 それでも、本番前にはどうやら雨も上がり、開演の頃には涼しい風も吹くイイカンジな状況に。元来「音楽のための場所」ではない所での演奏は、集中力を保つのが難しいものだが、もろもろのマイナス要因を越えて、熱のこもったパフォーマンスが出来た。お客さんも、コーコーヤを知ってる人も知らない人も、いい反応で迎えてくれて、機嫌良く終了。
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8月15日(金)
 
 
西荻、copo do dia にて、吉田慶子さんのライブ

 こちらのお店には、先日、ジョアン・リラの帰国直前飲み会の時にジョアンと一緒に訪れて以来で、その前に伺ったのも、数年前の、ジョアンの誕生会であった。そんななので、何となく「ブラジル音楽フリーク」なお店なのだと勝手に思っていたのだが、「ちょっと違う」ことも知り、かえってシンパシーが湧くのである(別にフリークがイヤという意味ではありません、念のため。)壁には、数十年前にご両親がブラジルに滞在されていた時の写真が飾ってある・・。

 お盆休みということで、集客に心配があったのだが、東京には、お盆の間どこにも行かずゴロゴロしているヒマな人達が結構いる(←来ていただいたお客様に対して何とシツレイなことを言うか)せいか、某新聞のwebページでご紹介いただいたせいか、ふたを空けてみれば、ウシロまでギッシリの満員御礼。演奏もリラックスの極みだったし、吉田さんからは相変わらず面白いハナシがいろいろ聞けたし、かつて大変お世話になった人が訪ねてきたくださったり、某共演者がフラリと見に来てくれたり、なんやかやで、とても楽しい「お盆休み」となった。
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8月14日(木)
 
 

大島花子さんレコーディング、2日目

昨日はアナログレコーディングについてのハナシでいっぱいいっぱいだったので、今日はレコーでイングの内容のご紹介を。

 昨日は、コモブチキイチロウ(b) 岡部洋一(perc) ヤマカミヒトミ(fl) というセッションで、花子さんと僕の共作を2曲、そのあとギターとのデュオで、スタンダードと共作曲の2曲を録音。最初の共作2曲は、実は数年前に一度デモ音源としてコモブチ君以外は同じメンバーでレコーディングしているのだが、1曲はキーが、もう1曲はテンポが変わっての再録音。この2曲については、大変「洋楽的」な楽曲。次いで、美空ひばりの歌ったスタンダードナンバー、共作曲の「和テイスト」のものを。

 そして今日は、柏木広樹君と3人で、花子さんのお父様、坂本九さんの唯一のオリジナル作品「親父」を。この曲は、演歌のようなフォークのような、フシギな雰囲気を持つ曲で、今回、佐藤プロデューサーが一番大事にしている曲だったのだが、僕はライブでやっている時から、この曲の「とらえ方」がイマイチわからず、ちと「苦慮」したのであったが、柏木君の素晴らしいアプローチのおかげで、「一番大事」と言うに相応しい内容のものを録るコトが出来た。

 次に岡田浩安君に、昨日録った「和テイスト」のオリジナルに、サンポーニャを加えてもらう。最後は、ショーロクラブで、「岸壁の母」を。ショーロクラブ、最近は演歌系の曲への参加が多い。それがまた妙にハマっていて、思わず自分を見失ってしまいそうである。 

 ショーロクラブとのセッションが終了したあたりで、さーこれでオワリかなっ、と思ったら、暗くなるとともに花子さんのアドレナリンが急上昇、あの曲もこの曲も、もう一度歌い直してみようかしら、みたいなハナシになり、結局夜10時前まで、晩ご飯も摂らずにレコーディング継続。

 終了後、牛丼でも食べて帰ろうか、と持っていたら、東京支部会(という名の飲み会)をやっていた山形ブラジル音楽普及協会(最近わけあって名前をYAMABRAに変更。ちなみに、僕はなんかエライ肩書きがついてます)会長から、まだ食べ物があるから来なさい、というご命令が。出来上がっている人々の中に飛び込んで、そそくさと飲食して、長い一日終了。
1409839094.jpeg 柏木君と佐藤剛さんと、良いテイクがとれて喜ぶ花子さん

1409839095.jpeg 岡田君

1409839096.jpeg なにげにドキュメンタリー番組のカメラが入っていたり。

1409839097.jpeg 終了クラブのメンバーと。

1409839098.jpeg YAMABRA回腸と。

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8月13日(水)
 
 
大島花子レコーディング

 今回のレコーディングでは演奏とアレンジを6曲担当させていただくことになっている。プロデュースは、かの由紀さおりさんの世界的ヒットを記録したアルバムのプロデュースをされ、「上を向いて歩こう」他昭和歌謡関連の著作も多い佐藤剛さん。今回のレコーディングの第一の「トピック」は、完全アナログでレコーディングする、ということ。要するに太いテープをくるくる回しながら録る「あれ」である。

 アナログレコーディングからデジタルレコーディングへの転換は、僕はこういうことを全くわかってないので、ここから先のハナシはドシロートの野球解説ぐらいの信用度で読んでいただきたいのだが、多分90年代から2000年代の前半ぐらいの十数年で完了したのだと思う。ショーロクラブは、ある意味究極的に「アナログ的」サウンドを持つユニットであり、録り方についても、随分「デジタル録り」には抵抗した。「アナログで録ってデジタルに落とす」とか、その逆とか、世の殆どがデジタル録音になってからも、どこかにアナログの「気配」を残すことに腐心していたのだが、2000年台半ばには「もうテープを売ってない」とか、「機材のメンテが出来ない」とか、そういう状態となり、ついにある時期に「陥落」し、以降は、全てのレコーディングにおいて、普通に「デジタル」録音をしている。

 で、デジタル録音というのはですね・・・、ラクなのです!殆どの失敗は簡単にあとから修正出来るし、あそこが聞きたい、と言えば瞬時にその部分の音が聞ける。そういうレコーディングをやっていると、現場での作業のリズム感も、そういう高い効率の上に出来上がっていく。今回、久しぶりにアナログ録音をしてしみじみ感じたことは、ひとつひとつの作業にもの凄く時間がかかる、ということであった。どこかを聞き直したい、と言えば、キュルキュルキュル、とテープを巻き戻さないといけない。難しい修正は不可。最初から最後までいい演奏をしないといけない。何曲か録ったらテープがいっぱいになって、新しいテープをレコーダーに掛け替えないといけない。ようこんなこんなことやってたな・・、というのが、正直な気分だ。

 しかしですな、違うのですよ、「音」が・・・。たまにいい機材でアナログレコードを聴くような時もあって、知っていたことではあったがのだが、スタジオの「いい音」で聞くと、本当にその「違い」が際立つ。暖かみと気持ちのいい「ザラつき」のある太い音色。今まで聞いていた音は何だったのか、と言いたくなるほどに、デジタル音源に比べて「触感」がキモチイイ。

 花子さんのレコ−ディングにこの方式が採用されたのも、花子さんの歌の「質感」を、最も再現出来る方法はこれだ、という、プロデュースサイドの思惑があったのだと思う。まさに「これだ」な音である。
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8月10日(日)
 
 
で、今日も朝から雨。雨の中、円頓寺商店街の勝利亭で名物のオムライスをいただき、取り敢えず瀬戸市方面に移動、会場である愛知森林公園のある駅に着いたところで、またもやイベント中止決定。そのまま名古屋駅に戻って、駅前で「打ち上げ」。しかし、何の打ち上げだったのか・・。何だかよくわからない「休日」を終え、帰宅。
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8月9日(土)
 
 
 今回の名古屋での仕事は、昨日が円頓寺にてライブ、今日明日は、野外イベント出演、というスケジュールだったのだが、生憎の大雨。今日の「名古屋城宵まつり」は、早々と中止決定。ライティングに凝った雰囲気のあるイベント、ということで、残念。しかし、勿論主催者側の皆さんやおまつりを楽しみにされていた皆さんの無念の気持ちも重々理解するものであるが、「休み」と聞くと、なんだか顔が笑み崩れてくるのはは、小学校の時からの悪い「ココロの癖」である。イケナイ子。

 というワケで、昼は鰻(昨日の遅刻のおわびで、俺のおごりだっ)、夜はイベント関係者の方に連れて行っていただき、手羽先で一杯。

 更にブルーノートでライブをやっていたEPO&センチメンタルシティロマンス+杉真理さんの打ち上げに、何故か乱入、何だか一日飲食してたカンジ。わたしは何しに名古屋に来たのでしょうか。
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1409838056.jpeg 督夫先輩、相変わらず。

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8月8日(金)
 
 
名古屋・円頓寺CONOHANAにて、大島花子さんと織音工房presents「円頓寺であいましょう」出演

 織音工房は、名古屋を中心にインディーズでライブプロデュースを続けているSさんの「活動名」とでも説明したらいいのかな。ともかく、15年前、その始まりの時から、ずっとお世話になりっぱなしだったのだが。

 それは今日の2時頃だったかしら。家で寝転がってくつろいでいたら、大島さんから「笹子さ〜んっ、新幹線、乗ってましたかっ??」という、切迫感のあるメールが届いたのであった。
 今朝、今日のこのライブの情報をフェイスブックでシェアしたばかりなのに、そのシェアした情報が「今日のコト」だと、全く気づかなかったわたしは、アホである。スケジュール帳に一日間違えて記載したものを、完全に信じ込んでいて、「空白の一日」に全く気づかぬまま、今日の晩ご飯の献立などを考えておったのであった。

 Sさんにとっては、織音工房の活動では初めての、通常は店舗営業をしていない場所にすべての機材を持ち込んでの「完全手打ちライブ」。PA機材を買いそろえ、ライトまでひとつひとつ事前にチェックして備えてくれていたのに、そういうワケで、いきなり彼女の「心胆寒からしめる」ような状況を現出させつつ、開場時間少し前に、ヨロヨロと会場到着。

 客席は、いつもと少し違って、商店街の近所に住まう中高年層の皆さんが中心。見たところ、多分半分ぐらいの方々が、「ライブは初めて」だったのではないか。こういう場面で、もしかしたら「一生に一度」しか見ない「ライブ」というものについて、良い思い出を持って帰っていただけるかどうか、というのは、やる側としても、もの凄く「勝負」しないといけない。結果は、おじさんもおばさんも涙ぐむ程に感動してくれて、今回が名古屋初登場だった花子さんともども、とても大きな「お土産」を、逆にいただいた気分だった。終わりよければ全てヨシ、な一日でした。
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8月6日(水)
 
 
札幌JRタワースカイバンケットルームにて、純名里沙さんと「THE CITY JAZZ CRUISE」出演

 去年に続き、久しぶりに佐藤芳明君を交えてのライブ。ホテルのイベントライブなので、普通のディナーショー的なものかなと思っていたら、音楽好きの大人の方々が集まる、集中力を持った「音楽の場」でだったのであった。よりによって北海道で中二日OFFという年に何度も無い極楽スケジュールで、いい具合に「ふやけ」たところで、楽しく演奏させていただきました。
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8月3日(日)
 
 
純名里沙さんと、帯広にてイベント出演

「ホテル日航ノースランド帯広」の夏のイベント出演。8/6札幌シティジャズ「摩天楼音食倶楽部」出演の流れで、いただいた仕事である。純名さんにとってはこういった性質のイベントへの出演は「初体験」で、当初はいろいろ不安もあったようだが、ひとたび客前に出れば、そこは「オーラの違い」を見せつけたのであった。ハードな環境のステージで状況を「組み伏せる」歌手の姿は、まことに凜々しい。そして、ホテルのスタッフの皆さんの行き届いたサポート態勢にも感動。いくら丼、豚丼もまとめて片付けて、いやぁ、いい一日だったな。
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8月2日(土)
 
 
照屋実穂さんレコーディング立ち会い
ご出産前にレコーディングしたオケへの歌入れ、立ち会い。女性アーティストにとって「出産」というのは、オトコには想像不可能な程の大きな経験であるらしく、出産の前と後で、「違う歌手」になる(もちろんいい方向に)という例を今までいろいろ見てきている。今回「出産後」の彼女の声を初めて聴いた印象としては、「声が柔らかくなった」。照屋さんの「これから」に期待。
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8月1日(金)
 
 
世田谷「読書空間みかも」にて、大島花子さんとデュオ

 2ヶ月一度の「スーパーカジュアル」ライブ。久しぶりに「満席」(と言っても「席」があるワケではないのですが)になったが、いつもどおりの、ラク〜な一夜でした。

 ところで、今日、アンコールを始めようとした時に飛び込んで来られたお客さん、実は、Oさんとおっしゃって、かつて某国営放送に籍を置き、大島さんと僕を結びつけてくれた人である。

 ハナシによれば、大島さんは、最初、このweb経由で共演のお誘いメールを送ってきてくださったとのことだが、「無視されました」。→無視したのではなく単に気がつかなかっただけです。諦めずに、共通の知人であるOさんに相談され、Oさんの方から僕に「これこれしかじかな方がいて・・」という連絡が来て、めでたく共演活動を始めることが出来たのであった。
 
 で、それがちょうど5年前の8月だった、のだそうだ。まる4年が過ぎたワケだが、いい「成果」の出た4年間だったと思う。これからは、その「成果」を世に問うて行くサイクルに入るワケで、既にいろいろなことが動き始めている。楽しみである。
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