OMCA-10
2000年
共同プロデュース・アレンジ・演奏
97年から99年にかけて、秋岡欧と共に、数カ月おき、エンジニアM氏を巻き込んで飲み会をしながら録りためた音源のCD化。それまでの二人のショーロクラブの活動の中で敢えて封印していた 「ぶらじる一直線」の部分をあられもなく曝け出したものです。
我々はしばしば「技術系」だとカンチガイされていますが、本当は「雰囲気系」演奏家であって、このアルバムのような「技術一直線」な内容には、本来立ち入らないようにしていたのです。ま、一生一度の記念、みたいな作品とでも言うか・・。
別の言い方をすれば我々にとっての「ブラジル音楽学校」の卒業記念制作、という部分もあるかも。これを作ったことによって、笹子的には「ブラジル音楽をブラジル人のようにヤル」ということについて、一区切りをつけた思いもあります。まあ、もちろん正真正銘「ブラジル人のように」やれたワケでもないですが。
おかげさまで、今でもこのデュオの再開は多方面で期待されているようですが、こんな「苦労」はもういいや、という気もします。どうなるか、わからんけど。
秋岡欧(BANDOLIM,VIOLAO,12stGUITAR)、
笹子重治(VIOLAO)
guest players
城戸夕果(fl)、岡部洋一(perc)、
マルコス・スザーノ(perc)、
梅津和時(clarinet)、関島岳郎(tuba)
SRCS-7301
1994年
全面プロデュース・アレンジ・演奏
FEEL SO COOLの姉妹編。今度は邦楽の「ブラジル化」。
同じコンセプトでJ-POPと洋楽とを料理して感じたことは、
洋楽の方が1曲の中での統一性が高く、J-POPの方がいろんな要素をパッチワークのように繋ぎあわせてるような作りになっている傾向がある、ということでした。それが、今の時代でもそのままかどうかは、わかりませんが・・。
ある意味ではこちらの方が、 遊べた、という印象が・・。
しかし、今出せば結構ウケると思うんだけど、誰も出してくれん。何故だっ。
笹子重治(guitar,arrange,produce)、
WILMA (vocal)、秋岡欧(cavaco,bandolim,viola caipira)、
加瀬達(contrabass)、菅野よう子(accordion,synthesizer,piano)、
岡部洋一(perc)、小畑和彦(guitar)、
村田陽一(trombone,horn arrange)、
城戸夕果(fl)、溝口肇(cello)、服部正美(perc)高桑英也(fl)
SRCS-7300
1994年
全面プロデュース・アレンジ・演奏
70年代前後の洋楽ヒット曲をブラジル音楽にしてしまう、という「B級」企画モノ。しかし「B級」企画モノと言っても、笹子にとっては、実はもの凄く気に入ってる一枚なのです。自称「超B級大作」。
ブラジル音楽のパロディのようなものでもあり、どっかに聞いたようなメロディをわざと潜り込ませるような、「B級」ならではの遊びも取り入れつつ、実は相当凝った作りになっていたりします。
全部の曲にポルトガル語の歌詞がついて、ブラジル人女性歌手Wilmaがさん歌っています。
・・・、それにしても、当時の予算額が懐かしい・・。
笹子重治(guitar,arrange,produce)、
WILMA (vocal)、秋岡欧(cavaco,bandolim,viola caipira)、
加瀬達(contrabass)、菅野よう子(accordion,synthesizer,piano)、
岡部洋一(perc)、小畑和彦(guitar)、
村田陽一(trombone,horn arrange)、
城戸夕果(fl)、溝口肇(cello)、服部正美(perc)高桑英也(fl)
MDCL-1333
1999年録音
全面プロデュース・アレンジ。演奏
メンバーとはそれぞれ古いつきあいの亜紀ちゃんがCDを作るというので、3人全員で協力しました。笹子=プロデュース、アレンジ、秋岡、沢田もアレンジで参加。おもしろいことに、皆それぞれに演奏でも参加しているのに、秋岡はエレキ、沢田もエレベ、と、ショーロクラブ・サウンドとしては全く参加していないのです。
TKF-ESPECIAL-1
1990年録音
全面アレンジ・演奏
サンバ・カリオカを代表する名盤「クアトログランジス・ド・サンバ」の4人の偉大なるサンビスタの一人にして、サンバ界の大長老、ギリェルミ・ヂ・ブリート翁の初来日時のライブです。笹子にとって「クアトログランジス・・」は、学生時代以来の座右の盤?ともいうべき存在で、その中でもギリェルミは一番好きな人だったので、そのギリェルミに知己を得て、共作曲を持ち、ライブをやり、こうやってライブ盤まで出せるというのは、口では言い表せない程のうれしい体験だったのでした。
彼はブラジルでは必ずしも良いサポートに恵まれてなかったことも見ていたので、「よーし、ギリェルミが泣いて喜ぶ伴奏をしたろっ」と、がんばりました。準備の時間も無く、内容的には今聞くと結構恥ずかしい部分もありますが、笹子にとって「想い出の一枚」のベストスリーには入る一枚です。
ちなみに、このライブの2~3ヶ月前に、ショーロ・クラブのデビュー盤を録音しています。メンバーも、ギリェルミのかわりに沢田穣治がいるだけで、あとは全く同じ(笹子、秋岡欧、岡部洋一、NO-RIO)。似たようなメンツで、よくもこれだけ違う音楽が出来るもんだ、と、みんなで感心した覚えがあります。
TFCC-88410
1999年録音
演奏で参加
城戸夕果グループによる2作目。この時のコンセプトは、少しラクなアルバムにしよう、ということだったと思います。オリジナルは2曲に押さえて、イパネマの娘のようなスタンダードも含むカヴァーを中心とした選曲です。と言っても、このメンバー(笹子、岡部洋一、八尋洋一)のやることなので、結構とんがったところにも行ったりしていて、聞き応え十分です。
TFCC-88409
1998年録音
演奏で参加
95年に初めてレコーディングを手伝っていただいて、その実力の高さにビックリ、以後彼女のグループ作りに協力して、その結果がこの一枚です。
それまでの彼女のアルバム「RIO SMILE」「ARACUA」は、どちらも日本人の演奏によるブラジル系インストとしては例外的な水準の作品だったと思いますが、それらがブラジルでブラジル人とともに作ったのに対して、この作品は日本人メンバー(笹子、岡部洋一、八尋洋一、ゲスト向井滋春、秋岡欧)だけで作り上げたもので、という中で、それまでの作品を越える水準のものを作った、ということは、とてもスバラシイことであった、と思います。
ちなみに中の一曲「perco essa」一曲のみ、笹子作品。かのジョイスがこの曲を聴いて「bem carioca!」と言ったとか言わなかったとか。
TOCT-9148.9149
1995年録音
アレンジ・演奏で全面参加
95年に1ヶ月かけて、EPOさんとショーロ・クラブ、渡辺亮君とで、中南米をツアーしたことがありました。この作品は、その時のライブ音源をまとめた一枚と、この時期盛んに行っていたデュオライブをそのままスタジオに持ち込んだような「スタジオライブ」を中心とした1枚との、2枚組アルバムです。
TOCT-8301
1994年録音
アレンジ、演奏
那覇のスタジオで、デモ用にデュオで短時間のうちに録ったものを、内容がよかったためにそのままベーストラックに使用したという、想い出深い作品です。本土より一足早い梅雨の雨の中レコーディングしたその「しっとり感」みたいなものが、そのままサウンドの端々に流れているカンジ。 笹子にとってEPOさんの作品の中でも一番好きなアルバムです。
NOTA-10
1987年録音
全面演奏参加
70年代から、カルトーラなどの本格的なサンバカリオカと取り組んでいた森本タケルさんの、デビューアルバム。この作品は全盛期の彼がブラジルで、アルセウ・マイアをプロデューサーに迎えて、現地のミュージシャンと録ったものです。たまたまブラジルにいた笹子も、同様に滞在中だった井上満さん、NO-RIOと共に全面参加。笹子にとっても初めての本格的レコーディングで、それを考えてみれば、笹子の出発点はやっぱりブラジル、ということなのかもしれません。
森本さんとは「森本タケルとエラ・ヂ・エスチ」というグループを作っていたのですが、メンバーが凄い。八尋洋一とトモヒロの兄弟、吉田和雄さん、秋岡、笹子、それに村田陽一・・。今にして思えば、先駆的・かつゼイタクなバンドでした。最近の若者達のサンババンドより、多くの部分おいて勝っていたゾ。