SVWC-7149
2003年
ショーロ・クラブ初の、アニメ音楽担当。全曲中11曲がショーロ・クラブによる自作自演。4曲がショーロ・クラブ作品のアレンジャーによるアレンジ化。沢田による月琴ソロ、笹子の口笛ソロ等、他では聞けない?モノもあり。
SICP-65
2001年
2001年のフジテレビ年末ドラマ「忠臣蔵1/47」の音楽を、作曲家服部隆之さんとショ ーロクラブで、担当しました。ショーロクラブは、服部さん作によるメインテーマの 演奏の他、新作オリジナル数曲を番組のために書き下ろし、もちろん演奏もしています。
SRCS-2510
2001年
前年のレコーディングで出会い、メンバーに深い印象を与えてくれたジャキス・モレレンバウンにプロデュースをお願いした作品。ショーロクラブとジャキスがひとつになって、ショーロクラブの新しい世界を開くことができたと思っています。アルバムタイトルにもなった「マリチマ」を歌ってくれたジョイス、そして「コンセルヴァトーリア」を歌ってくれた長老サンバ詩人のギリェルミ・ヂ・ブリート等、想い出に残るレコーディングでした。
SRCS-2293
2000年
ソニーミュージックに移り、急に活動規模が大きくなりました。この移籍第一作は、やりたいヒトとは全部やろう、みたいな贅沢な発想から実現したレコーディングだったのです。アート・リンゼイをゲストに東京で、ジョイス、ジャキス・モレレンバウン、マルコス・スザーノ、カルロス・マルタ&ピフィ・ムデルノ、シバ(メストリ・アンブロ ージオ)等をゲストにリオで録音されたこの作品、結果的には、ハデだというだけでなく、内容的にもやはり代表作のひとつになったと思います。
OMCA-6
1997年
3年間のブランクの後、初めて100パーセントの自主性を発揮して作った1枚。
全編オリジナルで、お互いのアイディアもいろいろ出し合い、「今後もこの バンドを続ける価値があるゾっ」ということを自己確認できた一枚です。
その後のソニーミュージックでの活動の原点ともなる、ショーロ・クラブにとっての最重要作品。
ちなみにサイゲンジが某CDショップ系の雑誌のアンケートで好きな一枚に選ぼうとしたところ、ウチで入れてない、と言われて断られたのだとか。ショップもちゃんとしてほしいよなー。
FHCF-2172
1994年
NHK大河ドラマ「花の乱」のエンディングテーマを含んでおります。という訳でこれも「ビッグウェイブ期待」の一枚だったのですが、結果は…。
いろいろそれまでとは違った方向性を模索しつつ、十分な求心力が発揮できずにもがいていた時期だったかもしれません。楽曲など、今聞いても、結構納得できるのですが。
FHCF-2076
1993年
作った当時はカヴァー曲のみ、というコンセンプトに何となく慣れなくて、ちょっととまどってしまいました。
後で聞いてみると、結構面白くて、「こういうことなら、もっと楽しんでやってもよかったんだ」と、変なところで「悔い」が残っております。
取り敢えず前3作でそれまでの貯金を吐き出して、次に向かう試行錯誤に取りかかり始めた、というのが、この作品だっかも。
FHCF-2006
1992年
初のブラジル録音。全く違う空気感の中で録れる音は新鮮そのものでした。機材がこわれようがどうしようが、のんびりかまえた人情も我々にはピッタリ。ゲストに来てくれた旧友マルコス・スザーノ、ペドロ・アモリンとのセッションも楽しいものでした。(スザーノは、まだ髪の毛もフサフサだった・・。)
もう一曲わかりやすい曲を、とのプロデューサーの要請で、その場で沢田が作ったメロディーに、たまたま遊びに来たマウリシオ・カヒーリョが後半部分を作り足して、そのままレコーディングをした(=maracutaia) なんてことも、今では余り想像出来ないことですね。みんなまだ若くてイイ時代だったなぁ、と、ジジムサイ感慨も。
FHCF-1126
1991年
「出世作」になるはずだった一枚。三枝成彰氏に、伝説的?な情報番組「OLクラブ」で激賞していただき、その影響か、CDは売り切れる、サントリーホールのレコ発コンサートのチケットも売り切れる、ついに来たかビッグウェイヴ!!と思ったのですが、、それでオワリました・・・。
作曲ではやたらに苦労した覚えがあり、出来た時も、随分ダメなものを作ってしまったんじゃないか、と、不安だったことを覚えています。今聞けば、全然そんなことないのですが。
後にjoyceが歌ってくれた「maritima」の原曲「クジラの午睡」が入ってます。
FHCF-1071
1990年
30過ぎてのCDデビュー、と、今のスタンダードに比べて何とも遅い出発だったワケですが、いろんな意味で初めてのことで、「ショーロ・クラブのレコーディングのやりかた」がなかなか決まらず、音が録れるまで、えらく苦労ししました。2曲目で先に進まなくなって、そのままスタジオ近くの飯屋でダウンしたり。今や一日6~7曲はアタリマエ、のショーロ・クラブにも、そんな初々しい時期があったということは、取りあえす書き残しておきたい、ですなあ。
結果的には、今に至るまでのこのグループのサウンドやレコーディング作法の基本は、この時に出来上がった、と思います。今聞くと稚拙なところも散見されますが、やっぱり代表作のヒトツと言っていいのでしょう。