FHCF-2006
1992年
初のブラジル録音。全く違う空気感の中で録れる音は新鮮そのものでした。機材がこわれようがどうしようが、のんびりかまえた人情も我々にはピッタリ。ゲストに来てくれた旧友マルコス・スザーノ、ペドロ・アモリンとのセッションも楽しいものでした。(スザーノは、まだ髪の毛もフサフサだった・・。)
もう一曲わかりやすい曲を、とのプロデューサーの要請で、その場で沢田が作ったメロディーに、たまたま遊びに来たマウリシオ・カヒーリョが後半部分を作り足して、そのままレコーディングをした(=maracutaia) なんてことも、今では余り想像出来ないことですね。みんなまだ若くてイイ時代だったなぁ、と、ジジムサイ感慨も。
FHCF-1126
1991年
「出世作」になるはずだった一枚。三枝成彰氏に、伝説的?な情報番組「OLクラブ」で激賞していただき、その影響か、CDは売り切れる、サントリーホールのレコ発コンサートのチケットも売り切れる、ついに来たかビッグウェイヴ!!と思ったのですが、、それでオワリました・・・。
作曲ではやたらに苦労した覚えがあり、出来た時も、随分ダメなものを作ってしまったんじゃないか、と、不安だったことを覚えています。今聞けば、全然そんなことないのですが。
後にjoyceが歌ってくれた「maritima」の原曲「クジラの午睡」が入ってます。
FHCF-1071
1990年
30過ぎてのCDデビュー、と、今のスタンダードに比べて何とも遅い出発だったワケですが、いろんな意味で初めてのことで、「ショーロ・クラブのレコーディングのやりかた」がなかなか決まらず、音が録れるまで、えらく苦労ししました。2曲目で先に進まなくなって、そのままスタジオ近くの飯屋でダウンしたり。今や一日6~7曲はアタリマエ、のショーロ・クラブにも、そんな初々しい時期があったということは、取りあえす書き残しておきたい、ですなあ。
結果的には、今に至るまでのこのグループのサウンドやレコーディング作法の基本は、この時に出来上がった、と思います。今聞くと稚拙なところも散見されますが、やっぱり代表作のヒトツと言っていいのでしょう。