STBR-3002
2004年
全面プロデュース・アレンジ・演奏
03年当時所属していた事務所の縁で、紹介していただいて以来のおつきあいです。かなこさんは、フランスでクラシックのアコーディオンの学校を出てコンクールで優勝、という、「う~む、オレには縁が無い」系の経歴の持ち主で、オレで大丈夫なのかしら?と、随分心配したのですが、会ってみたら、印象は随分違う感じで、助かり?ました。
フランスのアコーディオンと言えば「ミュゼット」ですが、笹子にとってはミュゼットをやるのも楽しいし、で、彼女がそれだけではない、自分にもっと合ったスタイルを模索していることにも、とてもシンパシーが持てます。このアルバムでは、そういうことが、そのまま正直に出ていて、自分にとっても気に入ったアルバムです。
同時期に桑江知子さんの「月詠み間」のプロデュースもやっており、笹子にとっては、一見何の内容的共通点も無いこの2枚は、「姉妹盤」なのでした。
参加ミュージシャン
笹子重治(ギター) 秋岡欧(バンドリン他) 沢田穣治(コントラバス)
アレメッレル(マンドーラ他) 熊本尚美(フルート) ホブソン(パーカッション)
コモブチキイチロウ(フレットレスベース) 岡部洋一(パーカッション)
向島ゆり子(バイオリン) 石川智(パーカッション) 川瀬眞司(ギター)
大森ヒデノリ(バイオリン) 田中良太(パーカション)
CRCP-20284
2001年
ユニットメンバーとして参加
結婚・出産のため、01年~02年春にかけて比屋定さんが一時活動を休止していた時期に、菅原弘明さん(ギタリスト、坂本龍一や高橋幸宏、大貫妙子らのシンセサイザー・マニュピレーターとしても活躍)のコンセプトを中心に、笹子のギターと作曲(一曲だけ)、比屋定さんの詞と歌によるユニットのデビューアルバムとして、制作しました。菅原さんとは、実はEPOさんのアルバムで共同作業をしていた人で(後で知った)、このアルバムでも普段の笹子の仕事とは異質のものとの組み合わせが、かえってこちらの間口を広げてくれている感があります。
アルバム中唯一の笹子作品となった「CARTA AO EDU」 は「なんちゃってエドゥ・ロボ」な曲ですが、実は結構自分内評価の高い曲です。初めてボイスで参加した、ということも一言言っておこうっと。
VICG-60505
2002年
演奏・共同アレンジで全面参加
01年~03年にかけて、全面的にサポートをしていた、今や八重山を代表する唄者・大島保克さんの作品、この作品は出会って一年も経っていない01年の秋に録音されたもので、ムーンライダーズの武川さんと笹子が大島さんと相談しながらアレンジを担当しました。島唄のちょっと耳なれない部分を、洋楽の手法で馴染みやすいカタチに料理することに工夫を凝らしたつもりですが、その努力の甲斐あってか(曲と歌がイイからですって?そりゃそーだ)、発売以来ロングセラーを続けているそうです。笹子にとっても、多くのことを勉強させてもらった1枚。
OMCA-10
2000年
共同プロデュース・アレンジ・演奏
97年から99年にかけて、秋岡欧と共に、数カ月おき、エンジニアM氏を巻き込んで飲み会をしながら録りためた音源のCD化。それまでの二人のショーロクラブの活動の中で敢えて封印していた 「ぶらじる一直線」の部分をあられもなく曝け出したものです。
我々はしばしば「技術系」だとカンチガイされていますが、本当は「雰囲気系」演奏家であって、このアルバムのような「技術一直線」な内容には、本来立ち入らないようにしていたのです。ま、一生一度の記念、みたいな作品とでも言うか・・。
別の言い方をすれば我々にとっての「ブラジル音楽学校」の卒業記念制作、という部分もあるかも。これを作ったことによって、笹子的には「ブラジル音楽をブラジル人のようにヤル」ということについて、一区切りをつけた思いもあります。まあ、もちろん正真正銘「ブラジル人のように」やれたワケでもないですが。
おかげさまで、今でもこのデュオの再開は多方面で期待されているようですが、こんな「苦労」はもういいや、という気もします。どうなるか、わからんけど。
秋岡欧(BANDOLIM,VIOLAO,12stGUITAR)、
笹子重治(VIOLAO)
guest players
城戸夕果(fl)、岡部洋一(perc)、
マルコス・スザーノ(perc)、
梅津和時(clarinet)、関島岳郎(tuba)
SRCS-7301
1994年
全面プロデュース・アレンジ・演奏
FEEL SO COOLの姉妹編。今度は邦楽の「ブラジル化」。
同じコンセプトでJ-POPと洋楽とを料理して感じたことは、
洋楽の方が1曲の中での統一性が高く、J-POPの方がいろんな要素をパッチワークのように繋ぎあわせてるような作りになっている傾向がある、ということでした。それが、今の時代でもそのままかどうかは、わかりませんが・・。
ある意味ではこちらの方が、 遊べた、という印象が・・。
しかし、今出せば結構ウケると思うんだけど、誰も出してくれん。何故だっ。
笹子重治(guitar,arrange,produce)、
WILMA (vocal)、秋岡欧(cavaco,bandolim,viola caipira)、
加瀬達(contrabass)、菅野よう子(accordion,synthesizer,piano)、
岡部洋一(perc)、小畑和彦(guitar)、
村田陽一(trombone,horn arrange)、
城戸夕果(fl)、溝口肇(cello)、服部正美(perc)高桑英也(fl)
SRCS-7300
1994年
全面プロデュース・アレンジ・演奏
70年代前後の洋楽ヒット曲をブラジル音楽にしてしまう、という「B級」企画モノ。しかし「B級」企画モノと言っても、笹子にとっては、実はもの凄く気に入ってる一枚なのです。自称「超B級大作」。
ブラジル音楽のパロディのようなものでもあり、どっかに聞いたようなメロディをわざと潜り込ませるような、「B級」ならではの遊びも取り入れつつ、実は相当凝った作りになっていたりします。
全部の曲にポルトガル語の歌詞がついて、ブラジル人女性歌手Wilmaがさん歌っています。
・・・、それにしても、当時の予算額が懐かしい・・。
笹子重治(guitar,arrange,produce)、
WILMA (vocal)、秋岡欧(cavaco,bandolim,viola caipira)、
加瀬達(contrabass)、菅野よう子(accordion,synthesizer,piano)、
岡部洋一(perc)、小畑和彦(guitar)、
村田陽一(trombone,horn arrange)、
城戸夕果(fl)、溝口肇(cello)、服部正美(perc)高桑英也(fl)
MDCL-1333
1999年録音
全面プロデュース・アレンジ。演奏
メンバーとはそれぞれ古いつきあいの亜紀ちゃんがCDを作るというので、3人全員で協力しました。笹子=プロデュース、アレンジ、秋岡、沢田もアレンジで参加。おもしろいことに、皆それぞれに演奏でも参加しているのに、秋岡はエレキ、沢田もエレベ、と、ショーロクラブ・サウンドとしては全く参加していないのです。
TKF-ESPECIAL-1
1990年録音
全面アレンジ・演奏
サンバ・カリオカを代表する名盤「クアトログランジス・ド・サンバ」の4人の偉大なるサンビスタの一人にして、サンバ界の大長老、ギリェルミ・ヂ・ブリート翁の初来日時のライブです。笹子にとって「クアトログランジス・・」は、学生時代以来の座右の盤?ともいうべき存在で、その中でもギリェルミは一番好きな人だったので、そのギリェルミに知己を得て、共作曲を持ち、ライブをやり、こうやってライブ盤まで出せるというのは、口では言い表せない程のうれしい体験だったのでした。
彼はブラジルでは必ずしも良いサポートに恵まれてなかったことも見ていたので、「よーし、ギリェルミが泣いて喜ぶ伴奏をしたろっ」と、がんばりました。準備の時間も無く、内容的には今聞くと結構恥ずかしい部分もありますが、笹子にとって「想い出の一枚」のベストスリーには入る一枚です。
ちなみに、このライブの2~3ヶ月前に、ショーロ・クラブのデビュー盤を録音しています。メンバーも、ギリェルミのかわりに沢田穣治がいるだけで、あとは全く同じ(笹子、秋岡欧、岡部洋一、NO-RIO)。似たようなメンツで、よくもこれだけ違う音楽が出来るもんだ、と、みんなで感心した覚えがあります。
TFCC-88410
1999年録音
演奏で参加
城戸夕果グループによる2作目。この時のコンセプトは、少しラクなアルバムにしよう、ということだったと思います。オリジナルは2曲に押さえて、イパネマの娘のようなスタンダードも含むカヴァーを中心とした選曲です。と言っても、このメンバー(笹子、岡部洋一、八尋洋一)のやることなので、結構とんがったところにも行ったりしていて、聞き応え十分です。
TFCC-88409
1998年録音
演奏で参加
95年に初めてレコーディングを手伝っていただいて、その実力の高さにビックリ、以後彼女のグループ作りに協力して、その結果がこの一枚です。
それまでの彼女のアルバム「RIO SMILE」「ARACUA」は、どちらも日本人の演奏によるブラジル系インストとしては例外的な水準の作品だったと思いますが、それらがブラジルでブラジル人とともに作ったのに対して、この作品は日本人メンバー(笹子、岡部洋一、八尋洋一、ゲスト向井滋春、秋岡欧)だけで作り上げたもので、という中で、それまでの作品を越える水準のものを作った、ということは、とてもスバラシイことであった、と思います。
ちなみに中の一曲「perco essa」一曲のみ、笹子作品。かのジョイスがこの曲を聴いて「bem carioca!」と言ったとか言わなかったとか。