TKF-ESPECIAL-1
1990年録音
全面アレンジ・演奏
サンバ・カリオカを代表する名盤「クアトログランジス・ド・サンバ」の4人の偉大なるサンビスタの一人にして、サンバ界の大長老、ギリェルミ・ヂ・ブリート翁の初来日時のライブです。笹子にとって「クアトログランジス・・」は、学生時代以来の座右の盤?ともいうべき存在で、その中でもギリェルミは一番好きな人だったので、そのギリェルミに知己を得て、共作曲を持ち、ライブをやり、こうやってライブ盤まで出せるというのは、口では言い表せない程のうれしい体験だったのでした。
彼はブラジルでは必ずしも良いサポートに恵まれてなかったことも見ていたので、「よーし、ギリェルミが泣いて喜ぶ伴奏をしたろっ」と、がんばりました。準備の時間も無く、内容的には今聞くと結構恥ずかしい部分もありますが、笹子にとって「想い出の一枚」のベストスリーには入る一枚です。
ちなみに、このライブの2~3ヶ月前に、ショーロ・クラブのデビュー盤を録音しています。メンバーも、ギリェルミのかわりに沢田穣治がいるだけで、あとは全く同じ(笹子、秋岡欧、岡部洋一、NO-RIO)。似たようなメンツで、よくもこれだけ違う音楽が出来るもんだ、と、みんなで感心した覚えがあります。
TFCC-88410
1999年録音
演奏で参加
城戸夕果グループによる2作目。この時のコンセプトは、少しラクなアルバムにしよう、ということだったと思います。オリジナルは2曲に押さえて、イパネマの娘のようなスタンダードも含むカヴァーを中心とした選曲です。と言っても、このメンバー(笹子、岡部洋一、八尋洋一)のやることなので、結構とんがったところにも行ったりしていて、聞き応え十分です。
TFCC-88409
1998年録音
演奏で参加
95年に初めてレコーディングを手伝っていただいて、その実力の高さにビックリ、以後彼女のグループ作りに協力して、その結果がこの一枚です。
それまでの彼女のアルバム「RIO SMILE」「ARACUA」は、どちらも日本人の演奏によるブラジル系インストとしては例外的な水準の作品だったと思いますが、それらがブラジルでブラジル人とともに作ったのに対して、この作品は日本人メンバー(笹子、岡部洋一、八尋洋一、ゲスト向井滋春、秋岡欧)だけで作り上げたもので、という中で、それまでの作品を越える水準のものを作った、ということは、とてもスバラシイことであった、と思います。
ちなみに中の一曲「perco essa」一曲のみ、笹子作品。かのジョイスがこの曲を聴いて「bem carioca!」と言ったとか言わなかったとか。
TOCT-9148.9149
1995年録音
アレンジ・演奏で全面参加
95年に1ヶ月かけて、EPOさんとショーロ・クラブ、渡辺亮君とで、中南米をツアーしたことがありました。この作品は、その時のライブ音源をまとめた一枚と、この時期盛んに行っていたデュオライブをそのままスタジオに持ち込んだような「スタジオライブ」を中心とした1枚との、2枚組アルバムです。
TOCT-8301
1994年録音
アレンジ、演奏
那覇のスタジオで、デモ用にデュオで短時間のうちに録ったものを、内容がよかったためにそのままベーストラックに使用したという、想い出深い作品です。本土より一足早い梅雨の雨の中レコーディングしたその「しっとり感」みたいなものが、そのままサウンドの端々に流れているカンジ。 笹子にとってEPOさんの作品の中でも一番好きなアルバムです。
NOTA-10
1987年録音
全面演奏参加
70年代から、カルトーラなどの本格的なサンバカリオカと取り組んでいた森本タケルさんの、デビューアルバム。この作品は全盛期の彼がブラジルで、アルセウ・マイアをプロデューサーに迎えて、現地のミュージシャンと録ったものです。たまたまブラジルにいた笹子も、同様に滞在中だった井上満さん、NO-RIOと共に全面参加。笹子にとっても初めての本格的レコーディングで、それを考えてみれば、笹子の出発点はやっぱりブラジル、ということなのかもしれません。
森本さんとは「森本タケルとエラ・ヂ・エスチ」というグループを作っていたのですが、メンバーが凄い。八尋洋一とトモヒロの兄弟、吉田和雄さん、秋岡、笹子、それに村田陽一・・。今にして思えば、先駆的・かつゼイタクなバンドでした。最近の若者達のサンババンドより、多くの部分おいて勝っていたゾ。